奉子です。私の骨折奮闘日記3回目。
今回は、初めての朝と翌日に初めて病院を受診したときのお話です。
転倒して右手が動かなくなったのは、11月22日23時。そして、11月23日祭日の朝がやってきました。
11月23日は、元々午後から「さとう式リンパケア」の施術予約をしていましたが、もちろん一晩経っても痛みも引かず、相変わらず右では動かないまま。
それどころか、右手を使わずに、自分ひとりで床から立ち上がる方法も、確立できていませんでした。
普通、「左手を床について立てばいいじゃん」と思われるかもしれませんが、私の左手は元々の障害の麻痺で、床から身体を支えて持ち上げる力はありません。
この状態で京都に行けるわけもなく、泣く泣くキャンセル。
とにかく痛みに耐えながら、夫が夜勤から帰ってくるのを布団の上で待ちました。
帰ってきた夫。怒りと悲しみで呆然
夫には、朝早いうちに、「昨晩転倒して、右腕激痛で、ひとりで立ち上がることも、着替えることもできない。帰りを待っています。ごめんなさい」
とだけ伝えておきました。
夜勤明けで帰宅した夫、布団の上で動けない私を見て呆然。
「お前、何やってるん?俺が夜勤で働いているときに勝手に遊びに行って焼肉食った上に、転んで動けないって、俺どうすればええん?
何でお前はいつもひとりで出かけたときにケガして帰ってくるん?
俺はどうやったらお前を守り切れるん?。もう出かけるのを止めてくれ」
と言われる始末。そりゃ当然です・・・
昨晩はなんとか強引にパジャマに着替えて寝たものの、今度はどうするにしろ着替えなければいけません。
しかし・・・
着る服はなんとなく持ってきたものの、どう頑張っても「ひとりで着替えができないこと」がすぐにわかりました。
そして、トイレに入っても、右手が全く使えない状態では、「用をたせたとしても、左手だけでは拭きたい部分に手が届かないこと」もわかりました。
トイレで運良く拭けたとしても、今度は「左手を使ってのズボンの上げ下ろしにいつもの5倍ぐらいの時間がかかること」、痛みで「ズボンのホックが留められないこと」もあることわかってきました。
当然ながら、右手が全く曲がらないので「顔を洗うこと」はできません。ちなみに、左手では水をすくうことができません。
「歯を磨くこと」も右肩を高く上げて持てばなんとかなりましたが、結局曲がらない手では満足にきちんと歯を磨くことは難しかったです。
この状態なので、当然台所に立てるわけもなく、夫に着替えを手伝ってもらい、その後は朝食。
我が家の朝食は「フルグラ」なのですが、これはスプーンで食べるものなので、なんとか右手で食べられました。
11月23日は祭日。通常の病院は休み。実は1件、祭日でも外来をやっている病院があったのですが、気がついたら受け付け終了時間過ぎており、そこには行けず終い。
鍼灸の先生に連絡をし、夫に頼んで「痛みを和らげる治療」だけを受診しました。
鍼の先生「見た目の色が変わっていないのが不思議だけど、痛みに強いあなたがこれだけ痛がるからヒビは確実に入っていると思う。
ちゃんと明日整形外科行ってレントゲン撮ってもらって」
し、仕事どうしよう・・・?
鍼の先生のところに行く段階で、自分で靴下や靴も履けないことに気がついていました。
明日、11月24日は会社がある。しかし、今のままではひとりで外に出ることも不可能で駅前の病院すらひとりで行けない。
どうする私・・・?
たまたま、11月24日は夫が仕事が休みだったため、夫に頼んで、病院と会社連れて行ってもらう以外の選択肢しかありませんでした。
前日のうちに、上司に連絡をしました。
「転倒し、十中八九、骨をやってしまってる予想で病院に行く旨」
自分ひとりで外出するのは不可能な状態なので、なんとか夫に頼んで、終わり次第、会社まで送ってもらい出勤する旨」
とりあえず、上司の了承だけは得た模様・・・
11月24日近所の病院受診・・結果は・・・?
夫と自宅最寄り駅前の病院を受診しました。
レントゲンの結果はヒビ。
「綺麗に亀裂は入っているけど、骨はズレてない。ズレていたら手術適用だけど、このまま様子をみましょう」
ということになりました。
骨折慣れしている私は、「そうかヒビか、ヒビって時間かかるけど、まあヒビなら痛いのは数日で収まるだろうし、我慢だな」と軽く思いました。
先生「固定したいんだけど?」
私「私は元々の障害で右手でバランス取って歩いてるんです。右手三角巾で釣られたらそれこそ絶対に歩けません。固定は困ります」と最初固定を拒否
先生「動くと治り本当に遅くなるよ・・困ったなあ。とりあえず来週火曜日もう1回来てくれる?装具屋さんに何か良い固定具がないかきいてみるから」
という会話の後先生が仕方なく私にした処置は
この写真自体はお風呂に入るのにラップをしているときの写真なのですが、いわゆる見た目、単なる包帯固定です。
「何もしないよりまし」という程度で、この状態でも私は左手ではなく、右手でできることはなんとかしようと思っていました。
そして私はこの状態で病院受診後会社に向かうのでした。。