全ての人々に伝えたい。
障害も鬱も「自分というパズルのピース」を知るための天からのギフト
私は全ての人々が充実した人生を送るためのガイド役として
みんなの太陽として、行動し続けます
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シンデレラカラーボトルとフルート

奉子(ともこ)です。

私の生い立ちの前に、現在の保有資格を記載しておきます。

保有資格:一般社団法人感性研究所認定 感性Artメソッド・コーチ&米国NLP協会日程「NLPコーチ」

:シンデレラカラーマスターセラピストおよびTCカラーセラピスト

堅いところでは、「第一種衛生管理者」および「メンタルヘルスマネージメントⅡ種ラインケア」一発合格

 

ともこという名前はメジャーですが、この漢字を使う人は少ないので、個性が出るかと思い、この名前にしました。

出生時の母体トラブルが原因で、8ヶ月で帝王切開。京都市伏見区で1330グラムで生まれました。

私が生まれた昭和50年当時の医療では、この位の体重で生まれた子どもは助からないとされ、私の両親も医者から「3、4日の命でしょう」と余命宣告を受けたそうです。

ところがどっこい、3、4日ところか40年以上生きております。

しかし残念なことに、生まれてすぐ入った保育器の酸素濃度が薄かったために、脳の運動機能を司る分野に酸素が行かず、身体に障害が残りました。

障害名は脳性麻痺です。

その後の私の経歴です。

まずは小学校入学まで。

1歳8ヶ月出会った鍼灸院の先生のおかげで歩き始める

2歳:片道1時間15分。障害者通所保育施設に通園開始

3歳:毎日乗っている京阪電車に名前を付け始める。鉄子への芽生え。そしてこのときすでに阪神タイガースファンであったと思われる。

4歳:目の斜視の手術のため、初入院。面会禁止の子ども病院。初めて親と離れ、健常者と自分の違いを意識する

6歳:障害者通所保育施設とは別に、近所の公立幼稚園に通い始める。この年、集団音楽教室に通い始める。音楽との出会い

7歳:養護学校(現特別支援学校)ではなく、普通公立小学校に入学

9歳: 初めての足の手術。入院中、病院内に「障害のある子どもを普通校に行かせたいと思う、親のための会」ができる。この会が今後の私の人生に大きく影響することになる。

10歳:阪神タイガースが21年ぶりの優勝を果たす。実はこの年、TVで見たルーキー「和田豊」という選手に魅了され、ここから私のトラキチならぬ和田キチ人生が始まる。

続いて10代

13歳:中学校入学。この頃、同級生が持っていたフルートに憧れ、個人レッスンを受ける

16歳:高校入学 念願のブラスバンド部入学。いったん挫折したフルートをまじめに取り組む。高校3年時、姉に連れられ、ついに人生初甲子園。

18歳:大学入学 文学部史学科専攻のはずなのに、社会福祉学科の友人が多くできる。

激動の20代

20歳:ドラマ主題歌だった「君がいたから」を歌うバンド「FIELD OF VIEW」の曲に魅了され、その後の人生に大きく影響することになる。

22歳: 教育実習を蹴って音楽療法の専門学校に通う。いわゆるダブルスクール。

23歳: 大学は無事卒業するが、音楽療法の専門学校は2年目継続中。

24歳: 音楽療法の講習会で出会った心理療法士の方に、不登校の生徒の相談相手の仕事を依頼される。

25歳: 大手化粧品メーカーに営業事務として入社。OL人生が始まる

そして30代。私の新生活スタート

32歳結婚。結婚して親のありがたみが痛いほどわかる。伏見から大阪市鶴見区へ引っ越すも、寿退社した会社の大阪支部に2ヶ月で呼び戻される

35歳人生初の転職。今度は庶務として、大手治験業務支援会社に入社。この会社で人生最大の厳しい試練に遭う

37歳9月: 退社

このとき、夫までもが同じタイミングで仕事を退職し、夫婦2人でいきなり無職に。しかしこの夫婦で過ごした無職時代に、今まで果たせなかった色々な経験をする

同年11月:再度転職活動をし、酒の小売り、卸販売会社会社に就職。

39歳8ヶ月:同会社内で、輸入卸事業部からの異動願いを出し、人事総務の一員となる。

40代突入から現在まで。40代は身体も心も変化する。私がまさかのうつ病を経験をするとは!

41歳頃から急に足が思うように動かなくなり、転倒することが格段に増え、外出時は杖を使用するようになります。

そこまでは、まだよかったのです。

42歳の冬:私は転倒し利き手の右腕を骨折。この骨折がいろんな意味の「今までの生き方の方向転換する気づきを与えた出来事」だったのにも関わらず、

「頑張ること。パワフルに前だけ向いて、どんどんポジティブに生き続けること=私」をさらに続けた結果、

43歳夏:色々な事が重なって、うつ病になりました

うつ病でも新しい出会いがたくさんあった。そのときの出会いが今の私につながってます

43歳9月:NLP仲間の紹介で、えじまゆみ先生考案のシンデレラカラー講座を受講します。カラーと私の出会いです。

それから3ヶ月後、私は鬱がひどくなり、ついに会社を休職しますが、その休職中に出会ったのが13年間のうつ病を克服した伴野弘尚先生

顕在意識より潜在意識の重要性を教えてくれた、魔法の教室の講座も受けました。

潜在意識のことを勉強した後に、この世の仕組みや魂(心の声)のことをアドバイスしてくれる方々の出会いに恵まれ、

44歳である2019年11月9日:家の近所でまた転倒し、骨折するのですが、その日に私の頭のどこかで、ふと聞こえたのです。

「その生き方続けていたら、もっともっと今よりつらくなるよ。それで良いの?」

その翌日、いきなり突然、1年半悩んだうつ病から抜けました。

うつ抜けした私、気になっていたカラーセラピーのステップアップ中

2020年世の中はまさかの新型コロナウイルス騒動で大変化。

しかし、幸運にもこの騒動前にうつから完全復活した私は、うつ初期の頃に出会ったカラーセラピーのステップアップをしたくて、シンデレラカラマスターセラピストの講座を受講しました。

さらに私にカラーセラピーを教えてくれたゆみ先生の考案した「女神塾」の一期生として入塾した私は、ますます自分がここに生きている意味や役割を認識せざるを得なくなりました。

2021年はシンデレラカラートレーナー講座も受講しますので、平日は企業で人事総務の仕事はしておりますが、それと同時にカラーセラピストとしての活動もしていきたいと思います。

まだ、セラピストとしてはスタート地点に立ったばかりですので、皆様に育てていただきたく、一定期間までは無料のモニターを募集しておりますので、お気軽にお申し付けください

これが私の行動指針です

「私はみんなの太陽として、自分を信じて行動し続けます」

「自分の強み(天からのギフト)はこの世に生きている人全員が持っています。私はそれを伝え続るガイド役になります」

 

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