奉子です。前回のブログで、ずっと夏から不調を感じていたメンタル不調が、ふと感じる原因を取り除いても改善せず、ついに仕事にも行けなくなってしまったことをお伝えしました。
もともと1月中の出勤停止を病院から指定され、2月からは会社に復帰できると思っていたのですが・・・・
出勤停止から1ヶ月、できるようになったこと
2018年12月23日~2019年1月6日(近所に昼間に行くのがやっと)
昼間でもひとりで出かけるのはかなりの困難があり、ゆっくり歩いて徒歩15分圏内昼間に行くのがやっと。
夫がホワイトボードに書いてくれた「2工程まででできる料理のみ」なんとか時間をかけてできる状態。
洗濯機を回して干すこともなんとか時間をかければできました。
家にいても何をするかが思いつかず、気がついたら時間だけが過ぎていく毎日。
フルートに触りたいとも思わないのです。TVを見たいとも思わないのです。
駅が15分圏内なので、電車1本乗り換えなしで行ける何度も行ったことのある場所なら、恐怖を感じながらも強引に押し殺して昼間で天気が良ければ、なんとか外出可。
年末年始はひとりで実家に行ったのですが、駅まで家族が付き添ってくれなければ、ひとりで歩くのすら恐怖で困難でした。
大きな声で話されたりTVの音が大きいのも「つらい」しかありませんでした。
コンビニに入るのすら「わーどうしよう。。。買い方が合っているのか、わからない。ほしいものがこれでいいのかわからない怖い」と感じるのです。
買いたい物の種類が1種しかなかったとしてもです。
これが飲食店となったら悲惨です。
まず、入るか入らないかの判断がつかず、お店の前でウロウロ30分。
やっとの思いで入ったとしても、ほしいものや食べたいものが判断ができず15分以上。
声も出ず、とにかく震えた小声で、予約の病院に「たぶん天気が晴れなので、行けると思うんですが、時間を昼間の明るい時間に変更してください」というのがやっとでした。
調子が悪い日は食べ物の味を感じることも困難でした。
まあ今もそうですが。
<恐怖を感じながらも頑張って行った鍼灸院の帰り>
<年末に実家に行ったときの投稿>
<姉についてきてもらって映画と喫茶>
映画とってもよかったです。喫茶も美味しかった。
<どうしても行きたかった私の心の原点のような場所 桃山御陵>
1月第2週目。感情が出てきたと家族に言われ始める。フルートのレッスンにひとりでたどり着くことができる
最初の2週は、ひたすら感情が止まっていて、「わからない。怖い」しかなかったのですが、2週目は嫌だという感情が出てきました。
練習はほぼできていなかったものの、ひとりでフルートの先生の家まで行き、帰りは親友のお見舞いに行き、実家まで迎えがなくともたどり着くことが出来ました。
ただ、どうずればいいのかわからない、決められないのは一緒なので、家族や一緒にいた方に決定は頼みました。
1月15日~ご神木に行き始める。行き慣れていないところでも恐怖感を感じながらも行くことが出来る場所ができた
1月15日から今の自宅の氏神様へ可能な限り、毎日お参りに行くことにしたのです。
この投稿自体は1月26日のものですね。。
後輩に勧められて、普段行っていない美術館へ。電車に乗って普段降りない天王寺で降りるの怖かったけど、なんとか行けて良かった。
この週末は恐怖を感じながらも会社の健康診断も行けました。
ただ、恐怖感が強すぎてパニックになる可能性が高かったので、胃カメラやバリウムは今年度パスしました。
夫に「よくしゃべるようになったね」と言われる日もありました。
ただ、行けましたが嫌々調子の悪い日は家で飲み物を汲むことすら困難。目の前でお弁当があるのにそれを食べるのも嫌。という感じでした。
第4週目、調子の良い日も出てくる。昼間の外出の恐怖感はほぼなくなる。夜の恐怖感も減る日も出る。(仕事の話も嫌ではなくなる)
3週目までは仕事のことを聞かれるのも、しんどい日もあったのですが、後輩とお出かけしてみました。
それがとっても楽しく、仕事のことを聞かれてもまともに受け答えできるのです。
さらにこの日「今日ジム行こう!」と突然思い、後輩と別れた後、ジムとスーパー銭湯に能動的に行けました。
1月で1番調子の良かったのは間違いなくこの日です。
夫に勧められて海遊館も行ってみました。
このジンベイソフトも「食べてみたい」と思って買ったものです。
第4週目になると、「天気が良さそうなら人と会って出かけるのは大丈夫。」と思えるようになりました。
つまり、1ヶ月で軽減したものは「とにかく外が怖い。出かけるのが怖い」という不安感です。
外で人と会ってお茶を飲んだりする方がとても気分が良くなりました。
会社の同僚ともランチもしました。
小鳥のような声しか出せなかった2週目に比べ、「あきらかに声は元気だ」と周りに言われるようになりました。
昼間に京都の病院までリハビリに行ったり、友人とランチするのに京都に行けました。
調子の良い日は、「人と会うなら、口紅とチークぐらい塗ってみようかなあ」と思えるようになる日もありました。
録画やTVを見て、内容を把握が普通にわかるようになる日も多くなりました。
会社の仕事内容を家で考えても、内容も普通に把握し、処理のイメージもできるようになってきました。
産業医厳しい。まだ会社に行ったらダメなの?
1月25日にクリニックの受診があり、「会社に行きたい。家がつらすぎるので、仲間と一緒に過ごしたい。仕事のことは嫌ではなくなってきた」と伝えました。
その日「集中できるかの判断テスト」があり、結果その日には出なかったものの、最初の出勤停止のときに「仕事の書類を見るのも嫌」だったのが「そこは嫌ではない」に変わったので、とりあえず病院から「出勤可」の診断書を書いてもらったのです。
その日のうちに、会社に行き、上司の指示に従い、産業医面談するための別書類をまたクリニックに届けに行くなど、2日間で会社とクリニックのかなりの往復をしました。
上司と一緒の産業医面談の日。かなり緊張して受けました。
「めちゃくちゃ元気だったときを10としたら今はいくつですか?」と聞かれ、素直に「5」と答えました。
7や8って言えないといけないことは、どこかでわかってました。
でも言えなかった。
朝起きたら何をすればいいのかわからず「家事が自分でこれしようって思えず、「嫌」しか言えなかったから。
食べたいものもやりたいことも、浮かべるのが難しかったから
自分で予定を立てることができなくて、時間も場所も指定してくれてやっと動ける状態だから。
ただ、この不調が仕事に出ることで、仲間と一緒にいることで良くなっていくという確信がどこかにあったのです。
そんな状態で、仕事に行きたいと言った私に産業医は本当に厳しかった。
「今は、やっと状態が良くなったところ。せっかく水が溜まってきたのに、今仕事に行けばまた動けなくなる。1ヶ月この状態が続けられることが最低条件。
1ヶ月の生活記録を付けてください。と申し渡されました。
集中力テスト散々な結果でした。主治医「これじゃ産業医の先生OK出さないよね」
仕事の2月復帰が叶わず、先日、クリニックの受診日でした。
私「産業医の先生OKが出ず、まだ会社行けていません。
不安感は軽減しましたが、朝起きて、何をやったら良いのか、何を食べたいのか全くわからないんです」
先生「前回の集中テストの結果、全然アカンよ。これでは会社に行って仕事できる状態とはいえない。1日図書館で過ごすとか進めてるけど」
私 「あまりにもどうしたら良いのかわからないので、夫が今週強引に予定を決めてくれて、その通りできるかどうかやってみることにしました。
図書館は・・・行けるんですが、本が選べず、立ち尽くしてしまいます」
先生 「鬱が強いよね。夏ぐらいからだいぶ立ってて、会社休んでもその状態だったら。。。鬱の薬足すか。漢方も飲んでるけど、これかかると思うよ」
先生が私にある紙を渡す
先生「毎朝会社に行く時間と同様に起きられて、通勤も出来て、図書館で1日過ごせるようになる。眠気も感じない」ここまでが復職できるポイントなんだけどね。」
私 「確かに、日常生活レベルは、家事をすること以外は、この項目はクリアできてますが、復帰レベルは・・・今は自信ないです。」
会社休んだときからクリニックが私に処方してくれた副作用のかなり弱い薬は、不安に特化したもので、抑うつ状態改善とは別ということが後でわかりました。
これに関しては1ヶ月飲んで、上手く効いた可能性が高いです。
この病院を最初に受診したときにも処方された薬は、鬱の作用もあったのですが、副作用がかなり出て、医師の指示で、すぐに飲むのを辞めたのです。
この日から別の薬を試しに2週間、処方されたのが現在です。
ただ、効き始めるまで、2週間かかるとのこと。今度は副作用が出すぎず、合うと良いなあ
ちなみに、今は昨年出来なかったことを悩んだりしているわけではないのです。
仕事も休み、普通に考えられる、ストレス要因を排除している今でさえも「好きだったことに関しても、意欲が全くわかない。自分が食べたいもの、できそうなこともわからない。
「とにかく暑い寒い、嫌だ」という不快感情だけは、はっきりしているのです。
自分とどうやって向き合えば良いんだろう
自分でも思います。なんで私、ここまで病的に引きずってしまったのでしょうかね。
仕事を休めば休むほど、会社にも同僚にも迷惑かけるし、今、家でスクーの授業を見て、「マインドフルネス」の時間を作ろうと必死です。
超ポジティブ人間の私が経験しているこの「鬱状態」を人生のうちでどう捉えればよいのか、私の何が悪くて、休職までさせてしまったのか?
まだ答えは出ていません。
ただ、思うのはとにかく今まで43年間「私はできる」とずっと自分に何か起きても乗り越えようと走り続けて休んではいないことです。
休まないとわからない。 そう言われている何かがあるのかなあと今は思います。
私が会社に行けていない間、成長し続ける後輩を嬉しく思いながら、とにかく笑って今は仕事に戻りたい。
家事も何もできなくなった私を、黙って支えてくれる夫の負担を減らして自由に好きなことをしてほしい。
最後に最新インスタです。
鬱は絶対治る病気だと言われています。
焦らずといても難しいけど、とにかくまずは普通にフルートが楽しく吹けるようになりたいです。
今は練習しても、集中できず吹けない日も多いのでね。
発表会は6月に決定しているし、実はその前に3月に高校の同級生が「セッションしよう」と準備してくれているのでなんとかそれまでにはまともに吹きたいです。