奉子です。2016年12月にこのサイトをオープンさせましたが、行動指針を一新してします。
以前の私の行動指針を否定するつもりはありませんが、旧のものはこちらをご覧下さい。
<2020年12月30日新設>2021年からの私の行動指針です
「私はみんなの太陽として、自分を信じて行動し続けます」
「自分の強み(天からのギフト)はこの世に生きている人全員が持っています。私はそれを伝え続けるガイド役になります」
この行動指針は、2020年激動のコロナ渦中に出会ったチャクラカラー女神塾というオンライン講座で、色々なワークをして自分の今までの人生を見つめ直す事ができました。
その講座を受講して、自分が生きている意味やこの世での役割を認識できたため、この行動指針を作りました。
2021年からはカラーセラピストとしての活動も始めて行きたいと思います。
この行動指針を作るに至ったお話を書きたいと思います。
41年間の信念を修正する転換期だった、2016年~4年間。そして出会ったカラーとオンライン講座
このブログを立ち上げたのは、ちょうど4年前の年末から新年にかけてでした。
4年前の2016年冬、受講していたNLPの本科プラクティショナーコースの最終日のワークで、当時出ていた私の強みが「生きるエネルギーNo1」でした。
それで、「生まれて3,4日の命と言われたのがここまでエネルギッシュなのは面白いなあ、これをブログにしよう」と思って立ち上げたのが4年前2016年末です。
しかし、その後色々な出来事がありました。
Blogを立ち上げて、半年で実の父が他界、同じ年の冬に転倒し、利き腕の右手を骨折して入院手術
その1年後は、私がまさかのうつ病で会社を4ヶ月休職する。
このときばかりは、いつもポジティブな「私の思考が完全ロック」されてましたから、本当にきつかった。
うつ病休職の1年後は、ある1日を境に突然うつヌケして復活。
来年は友人と一緒に「外部でセッション仲間とデビューするぞ」のワクワクの年末だったのです。
ところが、皆様ご存じの通り、いきなりのコロナ騒動勃発で、セッション仲間との外部デビューは全て2021年に延期。
人生の午後を私に教えてくれた女神塾
その代わり、私は、もともと同じNLPの講座の受講生だった私のカラーセラピーの先生が、開講したチャクラカラー女神塾の一期生として受講。
地球に無数に流れているエネルギーの中で目に見えるものである色が、人生のサイクルに大きく関わり、その色の活用することで、人生を自分の思い通りに描けたり、夢を実現したりするということを学びました。
色ってめちゃすごい!そして、カラーセラピーをもっと深く学んで、コーチクラスまで学んだNLPの技術もそれに追加したい。
女神塾のワークは、本当に自分できっちり自分と向き合わないと、とても難しい上、自分と向き合うことを逃げるタイプの人には途中で逃げ出したくなるような講座かもしれません。
この講座は、10代、20代で学校や親から受け継いだ常識、知識、社会人になってから会社や嫁ぎ先で受け継がれた知識、常識で過ごしてきた人生前半から、自分らしい必要なものだけを残して、後は手放す「人生の午後」について、深く学べます。
その講座の学びを通じて、私の強み、役割は「周りに集まってきた人たちに色々な事を伝えるガイドなんだ。ということを認識しました。
今までの自分を否定するではなく、障害も鬱も受け入れて新しい自分へ
4年前までの私は、自分の生まれつきの障害を「乗り越える」という姿勢でした。
いかに障害があっても、障害がない人と同じようにできるようにするかでした。
しかし、これこそが子どもの頃からすり込まれた、「組織の中にいて標準に合わせることが美徳」とされる考え方であり、障害を「乗り越えるという考え方」こそが、自分の障害を否定していることでした。
障害があって、簡単にできないことを、障害がない人と同じように、人一倍頑張って努力して、できるようにする。
この考え方は、健常の人が通う普通学校や企業で、見下されないように、対等に見られるように、過ごしたり、働くためには必要な考え方で、そうしないと私は生きてはいけませんでした。
しかし、40代になり、障害がなくても加齢で身体が動きにくくなり、20代の時のようには動けないのが当たり前。
私にはそこに元々の障害というプラスアルファが加わっているので、たぶん今の私は障害がない人でいう50代後半~60代近づいている(つまり10歳プラス)ぐらいと考えた方がよい。
しかしそれに気がつかず、その身体に対して、この20代までと同じ考え方や動きをしていたら・・・
半年に1回骨折するし・・・それでもわからんなら鬱にでもなってもらおうか(天からの大きな学びのギフト)
ってなったんだろうなあって今ならよくわかります。
私たちは全員違う形のパズルのピースであり、必死に相手の形に合わせなくても、そのままありのままでぴったり合う場所が必ずあります。
そして、世の中にいる他人は、自分と違う形を持っていると認識するために存在するのであり、決して比べて自分を卑下するためにのものではありません。
そして、私たちは天という何でも叶う場所から、この世という不自由な場所にわざわざ修行に来ているらしく、そのときにこの世でする役割みたいなものを決めている。(もちろん本人は覚えていない)
それで私の場合は、わざわざ障害のある身体を選んでいるらしいのです。
自分の今すでに持っているたくさんのものに気がつき、それを活かして、自分が持っているものを他の持っていない人に分け与え、また自分が持っていないものは他の持っている人から分けてもらう。
パズルのピースがそこしかはまらないように、人間生きている個々人それぞれが、ぴったりの役割があるのです。
障害も鬱もない方が楽だなあとは思います。
しかし、それらと敵対してもどうしようもなくて、受け入れて、自分の経験とし血となり肉となりました。
私はこの4年で、以前の自分では理解できなかった部分も、理解できるようになった実感があります。
来年から強化していきたいカラーセラピストとしての活動ですが、これをやろうと思った理由はコミュ力、傾聴力、客観的視点さえどんどん強化していけば、生きている限り続けられると思ったからです。
もし、私がこの先もっと身体が動かなくなって、今毎日通っているフルタイムの仕事に行けなくなったとしても、指が動かなくなって、大好きな楽器も吹けなっても、カラーセラピーは、自分の頭が正常だったら、ずっとできることだなと思ったからです。
カラーセラピーと女神塾という素晴らしい講座に出会わせてくれて、カラーの魔術師であるゆみりん先生、本当にありがとうございます。
4年前、このBlogオープンに当たっての自分の考え方を否定するつもりはありません。
4年前もこれからも、このページが、
世の中の障害者当事者、そしてその家族、いえ、障害者はかわいそうだと思っている人全てに、
「障害があっても、決してあきらめなければ、こんなに充実した人生が送れる」を証明したい。
障害者当事者がひとりでも私のように充実した人生をおくれますように。
このサイトから私と一緒に「幸せな障害者」を増やすお手伝いをしてくれる仲間ができますように。
は同じですが
今の私は
「障害者だけではなく、生きている全ての人が自分の強みに気づき、
充実した人生をになるヒントをお伝えできるガイド役」となりたいと思っております。
この新しい私の行動指針と合わせて、以前のものは別ページに残します。