奉子です。私の骨折奮闘日記4回目。今回はヒビの診断を受けてその後出勤日のこと。
ショックの連続でした。
ヒビの診断を受けて、続きで会社に行くもショックの連続
24日金曜日、病院を済ませ、そのまま夫と一緒に最寄りの駅から地下鉄に乗り、会社に向かった私。
右手で全くバランスが取れないため、夫に手を繋いでもらわないと歩けない状態でした。
昼食もお弁当を買ったとしても箸が持てないので、左手片手で食べられるパンを購入。
いつものリュックサックも、痛すぎて自分ひとりで背負うことが難しい状態でした。
重いので、水筒も止めてペットボトル飲料を買うも、ペットボトルの蓋も自分で開けられませんでした。
右手は痛くて力が入らない。左手はペットボトルを開けられるほどの力が元々ない。
そして、こんな状態ではひとりで帰宅するのも不可能なので、帰りも夫に会社までの迎えを頼むしかありませんでした。
ただ、動くのは本当に椅子に座った状態での指先だけ。
こんな状態で本当に仕事ができるのか?
でも日々の日常業務は私しかやり方を知らない。
会社にいるのは上司と、派遣社員の仲間2名。うち1名は年末調整業務だけのための方。
私が、私が行かなきゃ、うちの人事総務は回らない。
会社に到着し、周りに元気よく挨拶。遅れたことをわびました。
上司が伝えていて、私がケガをして自力で来るのが難しい状態だということは、すでに皆が知っていました。
私と同様に会社で声の大きい副部長がおり、私が元気よく挨拶していつも通りのテンションで仕事を始めようとする姿を見て一言。
副部長「○○(私の名字)さん、あんた、めっちゃ大変やのになんでそんな元気なん?」というので
私「○○さん、この状況で泣いたら私は単なる不幸な可哀想な人じゃないですか?
それが嫌だからせめて、気持ちだけはいつものように笑って元気でいたいんですよ」
副部長「そやなあ。それが○○さんのええところやもんな」
そんな会話をして、PCのスイッチを入れ、PCに手を置き、いつものようにキーパンチしてみました。
しかし、事態は深刻でした。
「い、痛い。頑張ったらなんとかギリギリ打てるけど、いつもの速さで打てない。そして、めっちゃしんどい。」
メールの返信も、エクセルの操作も、名刺の印刷も、書類をさばくことも、右手が全然動かない。
右手の操作は最上限に変え、左手でなんとか作業を続けるも、いつもと違うので全くスピードが出ない。
名刺を印刷するのに、プリンターに用紙をセットすることすら、右手は痛くてできませんでした。
電話を取りたいのに、右手で電話を持ち上げることもできず、右側にある電話をなんとか左手で取れるか取れないかの始末。
そして、電話が取れても・・「字が書けない・・メモが取れない」
いつもなら、2時間以内に終わる仕事が、4時間ぐらいかかっていました。
ショックでした。
「し、仕事にならない・・((>_<) 一体何時になったらいつもの速さで仕事ができるようになるの?
年末調整の業務もあるのに、このままではダブルチェックもできない。いや年末調整どころか、通常の業務も誰かに手伝ってもらわないといけない」
私、どうしようーー(>_<)
仕事帰り、夫が迎えに来て向かった場所はユニクロ
このケガをして初めて分かったことがありました。
現在、私が持っている洋服の多くはかぶり物の服でした。
前開きのものはボタンやチャックを締める必要があり、手を使うことが得意ではない私はかぶり物が楽だったのです。
しかし、腕の骨に異常がある今、かぶり物の服は着替えるのに困難を極めました。
そして、包帯固定の今ですら、サイズぴったりの服を着ている私には腕を通すことが困難だったのです。
では、前開きだったら楽に着られるのかと言われても、結局時間がかかるのは同じなのです。
腕は通せても、自分でチェックを閉めることができませんでした。
そこで私は、普段はMを買うのですが、大きめのLサイズで、なんとか自分で着られそうな服を選びました。
予定外の臨時出費でした。
その服は前開きではありませんでした。
そのときは、これでいけるだろうと思ったのです。
夫に誘われた外食。久しぶりに美味しかった
夫は私をその帰りに、外食に誘ってくれました。
行ったのはカプリチョーザ
パスタとピザのお店ですが、ライスコロッケが有名なお店です。
ここならスプーンとフォークで食事ができるのでなると私が思ったからです。
カプリチョーザに来たのは何年ぶりだろ?
そう思いながら、本当に美味しくいただきました。
ただ右手が痛いことを忘れることはできませんでしたが、本当に美味しかった。
しかし、本当に美味しかった。
美味しいものを食べると自然と笑顔になる私。
夫が一言
「やっと、やっと笑ってくれた。」
「お前、この3日俺の前で、一度も笑わなかったから。連れてきてよかった。」
そう、私にとってこのケガは、仕事での作り笑顔はできても、本心が出る家族の前では、トレードマークの笑顔でいることができませんでした。