奉子です。結婚の決まった私は、母の強い拒否反応にも耐え、長野の親戚のためのお披露目結婚式が3日後に控えていました。
夫は一足先に大阪の自宅に入居しておりました。
しかし、結婚式なしに同居することを、母が許すわけもありませんでした。
しかし長野での結婚式の準備もあり、なんとか結婚式3日前から一緒に住み始めました。
夫が固まった。ここまでこいつは料理ができないのか!?
一緒に住み始めた初日の夕食。
夫が料理が得意なのは知っていましたが、一応初日なので、女性の私が作らなければと思い冷蔵後を開けます。
冷蔵庫には野菜が数種類。ご飯も炊けていました。
私は「野菜炒め」と「サラダ」が作りたかったのです。
しかし、それだけのことで、結果的に2時間以上もかかりました。
いったい私は何をしていたのでしょうか?
野菜の切り方がわからない
野菜を切って、油で炒めるということは、もちろんわかっていました。
しかし、野菜を目の前にしてどうやって切るのかがわからなかったのです。
夫からの私はこう見えていました。
「野菜を目の前にして、野菜を持ってくるくる回したり、なでたりしている。
こいつは野菜と交信でもしているのか?(笑)」
1時間ぐらい考えたあげく、夫にやっと「野菜の切り方がわからない」と告白します。
夫は「しょうがないなあ」という顔をして、野菜の切り方から教えてくれました。
野菜炒めは、「野菜を何種類か切って、フライパンを出してきて、油を引いて炒める」ですが、ここでも問題が発生します。
「火が怖い!!」
そして、火が怖い私が作った野菜炒めは、
水分が多く残った、生焼けの野菜炒め・・・
サラダは洗ってちぎっただけの動物の餌のようなもの・・・
悲惨でした・・・(泣)はっきり言って、不味いです。
野菜炒めは、強火で短時間で炒める料理です。
弱火でトロトロやって美味しいわけがないのです。
夫「料理ができないことは、結婚前から聞いていたけど、本当にここまでできないとは!!これはヤバいわ」
料理ができないのは恥ずかしい。できるようになりたい
夫は上記の生活初日の料理ネタを「長野の結婚式時の話のネタ」にしました。
みんなは覚えていないと思いますが、やはり恥ずかしかった。
私が料理ができない理由は簡単でした。
結婚するまで、母の手伝いもほとんどせず、母が数年前に入院したときに、何日間か「姉と料理しようと奮闘した」のみ。
数年に1回しかしていないので、身体に染みついておらず、切り方も忘れるのです。
女性の私が、ここまで手伝ったことがないのも問題です。
理由は簡単です。私は皆が料理を習う小中学生の時代に、母が何よりも「リハビリ」の時間を大切にしていたのです。
「家の手伝いをしろ」と言われることはほとんどありませんでした。
しかし、料理ができないということは、結婚するとやはり支障が出ます。
今はたとえ料理ができなくても、お金を出せば外で食べられますし、お惣菜も充実しています。
生活はできます。
しかし私は贅沢なのか「外食が続くと、体調が悪くなる」のです。
つまり、自分で作るしか方法がないのです。
「ネタにされたことも克服したい。料理ができるようになりたい」そう思いました。
私の料理の先生は、夫とこちらの本
私の夫は結婚当時、始発で行って終電で帰る生活をしていました。
そのため、どんなに時間がかかって作っても、夫の帰りには間に合うのです。
やるしかありませんでした。
私が結婚当時使った本が↑の本。
今、探しても中古本しかありませんが、左は高いけどNHK出版の本で、野菜の切り方から書いてありました。
右の本は、本当に簡単にできそうな料理の本でした。
ここに書いてあるレシピで、できそうなものから、毎日順番にやっていったのです。
たまに夫が早く帰ってきても、やはり作るのが遅いので「こいつは本当に真面目に料理をやっているのか?やる気がないんじゃないか?」
と思ったそうです。
しかし、このボロボロになってページが外れた左側の本を見たとき、その思いを後悔したそうです。
この左の本に近いNHK出版の初心者の本はこちらです。
これはきっとわかりやすいと思います。
夫が休みの日は料理の先生。レパートリーが増えていく
野菜炒めは強火で炒めるところから、夫は教えてくれました。
私は手が不自由なのもあり、フライパンを振ることもできず、やっぱり強火でやったとしても、焼きムラができてしまいます。
同じものばかり食べるのが嫌な私は、揚げ物も挑戦したくなります。
ここで問題が出てきます。
揚げ物は粉をつけるところまでは知っているけど、揚げ方がわからない。
夫は、私に「唐揚げなら上がったときにお箸で持ってみて、ジュッとした感じが伝わったら上がってるから良いよ」と教えてくれました。
ちなみに、揚げ物の上げるお皿の代わりに私が使ったのはこちら
そう、ガスレンジの魚焼き器です。ここにあぶらとりのシートを引いて、上がった端から置いていきました。
ちなみにこちらの紙パック。
新聞を取っていない私は、中を乾かして、揚げ物の粉を付けるための場所と、肉や魚を切るために使っています。
衛生面から野菜と同じまな板で切るべきではないので、まな板はふたつはない代わりにそう使っています。
ついにできた。私の得意料理
そんな私が、わりと早く料理ができるようになったのは煮物です。
煮物は野菜が切れればあとはひたすら時間をかけて味さえ良ければ、ほっておけばできます。
逆に夫は短時間で、強火で何でも済ませてしまうため、煮物より焼き物の方が得意でした。
ちょうど、ふたりの得意が上手く分かれたのです。
しかし、煮物は美味しく作るには時間がかかります。
そんなときに「圧力鍋が良いらしい」という話を聞くのです。
圧力鍋を使うと、肉じゃががすぐできるとか?!
夫と相談し、購入したのはこちら。使い込んでいるのがわかりますか?
圧力鍋はティファールが有名ですが、ティファールは高いのです。
そんな中、私たちがみつけたのはワンダーシェフという日本のメーカーの圧力鍋です。
こちらがその圧力鍋の実物です。
このメーカーの圧力鍋は買ったときに、「こんなのが料理ができますよ」とクッキングガイドが付いていました。
そのクッキングガイドのは「豚の角煮」も載っていました。
つい数ヶ月前に「野菜を回していた私」がついに豚の角煮まで作ってしまうのでした。
さすがに食卓に「豚の角煮」が初めて並んだときは、夫は本当に喜んでくれました。
「お前、ここまでできるようになったんか?僕は本当に嬉しいよ(泣)」
この頃は食卓に1汁3菜が並ぶ綺麗な食卓が作れるようになっていていたのです。
ちなみに私が購入した圧力鍋はこちらです。今でもクッキングガイドが付いています。
半年後、ついに弁当まで持参することになる
結婚から半年後の1月中旬、私はそれまで職場での昼食は外食にしていたのが、ついに弁当デビューするのです。
そんなわけはこちらの2008年1月18日の私の過去記事
今日のブログの一番最初に、今年から私はお弁当を持っていくことにしたということを一言だけ書きましたが、それにはこんなわけがあります。
私は京都に行くのに私鉄の土日回数券を買っています。
土日回数券は10回分の料金で14回電車が乗れるというお得なカードです。
その日は、京都から大阪に帰るのに回数券が残り1回分でした。
旦那と一緒に電車に乗るには回数券が足りないので新しいカードを買いました。
いつも二人で乗るときは券売機で1枚発券して、回数券の元のカードを私が使うのですが、その日はラスト1枚と新しいカードだったため、発券せずに旦那にカードを渡しました。
そのとき私が「今日はラスト1枚やしカードごと渡すわ」といった一言が間違いの元でした。
その日は回数券の金額よりも運賃が高い区間を乗ったため、降りるときに精算が必要でした。
降車駅で、私は私鉄の金券カードを持っていたので、改札に2枚重ねて改札を通りました。
旦那は精算機でお金で乗り越し精算しました。
私もなんとなく旦那にはラスト1回分の回数券を渡したと思ったのですが、改札を出た私のカードがラスト1回の回数券でした。
改札を出てきた旦那に「あんた回数券返して」と言った私に対して
「あんたラスト1枚っていうたから使用済みの箱に入れたよ」
なに~!!! それは新しい買ったばかりのカードなのに・・・・
「それ新しいのやし、取りに言ってくれな困る~!!」と文句を私が言ったため、また改札の中に入りその使用済みカードの箱をみました。
「ないよ~ 僕が入れた箱の中からっぽ~」
そうなんです。ものの1,2分の間にそのたった一度しか使われていない回数券は、誰かによって奪われてしまいました。
その間、駅員さんは他のお客さんの相手でずっと改札口のところにいたので間違いはありません。
もう、こんなショックなことがあっていいんだろうか・・・・
旦那に「私の回数券返して~」とせがみますが出てくるわけもなく。
あまりにも私が不機嫌なのでお金で3800円返してくれましたが、あの回数券にはおまけもついているので5000円分の価値はありました。
旦那の財布からお金もらっても家の家計的には何の特にもなりません。
「なんとかこの5000円を取り返したい!!」
と思ったのが弁当作りへの決意でした。
今まで会社に復帰してからずっと毎日外食だったので一日千円近く出ていました。
それ以外の私個人の出費は、医療費とPC教室代で占められているため、削ることはできません。
私がこれを機に弁当作りを始めればその分安心して医療費に回せるというのもありました。
メニューは新たに作ることはせず全部晩御飯の残りで、朝の弱い私は詰めるところまで前の日にやっていますが、まあまあこれからもがんばります。
まあ、簡単に言えば、新品の回数券が取られてしまうということがあったからです。
しかし、これがなければ「職場の昼食に弁当持参」なんてことは、なかったかもしれません。
弁当と言えば、京都の会社を退職するその日まで、私は、
母親に弁当を作ってもらっていました。
料理は必要に迫られれば、できるようになります
このように、結婚するまで「野菜の切り方すらわからなかった私でも、半年毎日やり続けた結果、時間はかかってもそれなりのものが作れるようになりました。
私の場合、元々「美味しいもの好き」だったため、自分が作って、不味いものが耐えられなかったのです。
そのため、味も自然と「自分の美味しいと思うもの」ができるようになったのです。
今でも、料理のスピードや段取りはやはり上手ではなく、料理の得意な夫がいると、頼ってしまうのも事実です。
それでも、できない。と避けるものではなくなりました。
今、料理ができなくて「私結婚できないかも」と思っている皆さん、こんな私でもできるようになりました。
あなたも、やればきっとできるようになります!安心してくださいね。