奉子です。私がOLとして働き始めて、まもなく17年。
この17年間はトータルとしてみると、仕事がつらいと思う期間の方が長かったように思います。
しかしこの2年は、過去のつらい経験も含め、仕事を見る視点が過去の自分と変化したため「つらいけど、楽しい」と本心で思えるようになりました。
いろいろな経験を経て、わかった私が考える「仕事との向き合い方」について、今日はお話したいと思います。
OLのスタートは楽しくありませんでした。しかし周りの人々に恵まれていました。
最初の会社は京都で7年。
もともとは人と直接関わる仕事がしたかった私が、なし崩し的にOLという選択をせざるを得ませんでした。
「なんで私が事務職なんか」という気持ちで始めてしまったため、最初はちっとも、楽しくありませんでした。
それが、幸いなことに、私の持って生まれた明るい元気な性格が会社の社風に合い、それを長所としてくださる取引先の方々にも恵まれ、会社では好かれていたと思います。
嫌と思いながらも5年続けた結果、自分がやることで「他の人に喜んでもらえる」という実感が持てるようになり、仕事が楽しくなりました。
今思うと、補助の補助の仕事しかしていなかったのに、こんなにみんなに大切にしてもらえて、本当に人に恵まれていたと心から実感します。
私はこの会社の京都支社で7年間働いた後、大阪の部署へ転属するのですが、大阪の部署が仕事内容や人間関係も含め合わず、2年半で退職することを決意。
そのときにわざわざ私の退職を聞きつけた京都時代の仲間が、わざわざ宴会を開いてくれたのです。そのときの記事をご紹介します。
2010年2月7日の過去記事タイトル「人生初の・・」
まず金曜日ですが、京都時代の職場仲間で宴会がありました。
総勢20人越えでした。
実は今初めて話しますが、私は先日大阪の職場を退社しました。
金曜の宴会はそんな私の送別&激励会を京都時代の仲間が開いてくれました。
京都の職場を離れて2年半が経つのに、私のために20人以上来てくれる京都の仲間に感動と感謝の気持ちでいっぱいになりました。
もともと京都の仲間はみんなで楽しく宴会好きの人たちなので、飲みたい人は何でも参加する傾向はあるのですが、それでもすごい。
元京都で、今は大阪の職場で一緒だった自分の直属の上司や、今は他支社の支社長、そして今は関西でトップの本部長まで、みんなが京都に集まっていただきました。
京都の結束力は相当なもので、今は大阪にいる数名の方も、年に2回は京都支社宴会に参加しているようです。
私の大阪での様子を知っている仲間から「くろは今日は吼えよるわ」といわれる始末。
直属の上司がいるそばでも気にせずぼやいておりました。
まあその上司曰く「京都が特別なんや。俺は全国見たけど、こんなんないもん」というぐらいですから、
私がいかに京都で恵まれた職場環境だったかという話です。
独身時代は家が厳しかったので、宴会は絶対に一次会で帰宅していました。
しかし今回は実家帰りなのもあり、2次会にもついていきました。
2次会はカラオケ。みんながノリノリで踊りまくるからすごいです。
京都にいた頃に2次会についていったら最後やで といわれたことがあるのですが恐ろしかった。
カラオケも最初15人ぐらいで1時間半だったのが全然足りず、結局3時間。
その時点ですでに終電タイム終了。
ここで解散終了で終わらないのが京都支社。
次は祇園のバーで飲み直し。そこでまた過ごすこと2時間弱。
そして最後は朝5時まで営業しているうどん屋へGO。
4時前からカレーうどん食べました。
そして5時には始発電車があるので、なんと伏見方面3名はその京阪電車始発電車にて帰宅しました。
ちなみに4次会うどん屋まで最後まで一緒だったのは計8名。
残りの5名がどうなったのかは知りません。
というわけで私は人生初の始発実家帰宅をやってしまいました。
しかし最後までいるっていうのが、こんなに面白いものだとは思いませんでした(^_^)
こんな記事を書いています。
今、読み返しても、みんなの優しさに本当に泣けてきます。
この京都時代の同僚は今でも、連絡すれば会える良い関係が続いております。
実はこの元ブログは、この次の日にも別の友人との宴会があり、「人生初、京都から大阪まで(特急ではなく)準急で帰った」という二つの話が書いてありました(苦笑)
転職して、頭を打つ。私に足りなかったものとは?
京都の仲間に「くろちゃんなら大丈夫」と背中を押されて意気揚々と旅立った私。
しかし、入社した会社で、毎日真面目に仕事に取り組んでいるのにも関わらず、入社して8か月目~1年半、毎日注意される毎日が続きました。
そのときの私の心の苦悩は、2011年~2012年3月の過去記事をご覧ください。
いったい私に何が足りなかったのでしょうか。
ひとつは、「ホウ・レン・ソウ」を全く理解していなかったこと。
もう一つは「仕事の心構え・仕事とは何かの本質」が理解できてかったのだと今はわかります。
ホウレンソウについては、こちらの記事でお話をしたので、今度は、当時の私が足りていなかった「仕事に対する心構え」について話をしたいと思います。
仕事をする上で大切な心構え。これをわからなかった私は泣きをみた。
仕事とは何か? まず、よくある一般論を書きます。
労働してその対価としてお金をいただく。
そのため、プロ意識をもって常にミスなく100%の仕事を目指し、努力しましょう。
仕事は自分の得意なことばかりではなく、苦手な仕事もあります。
苦手なことも仕事なので、逃げずにやりましょう。
だからー、そこは私もわかっているわよ。
一所懸命やってたわよ。お給料いだたいていることもわかってるわよ。
それでも私は毎日何かしら注意されてた。何が悪いのよー。
by 過去の私の叫び
仕事を進めていくうえで、ホウレンソウ以外に大事なこと。
最初の私の仕事は、残念ながら、補助の補助のような仕事だったため、いわゆる作業が中心でした。
そのため、同僚から一度やり方を聞けば、簡単に覚えられる仕事ばかりでした。
作業も言われた端から淡々とすればよく、「一日のうちに仕事の優先順位が変わる」という当たり前の体験もありませんでした。
さらに残念ながら、こちらの記事でも触れましたように、「組織とは何か」もわかっていませんでした。
つまり、社会人なら下記のような「仕事をする上での基本的な心構え」をわかって、仕事すべきだったのに、
10年近く、知らずでもできるような仕事しかしていなかったという、ある意味悲しく、私はその程度のレベルだったのです。
話を聞く姿勢
仕事を教わるときは、一度で覚えられないような複雑なものが多く、何回も同じことを聞くのは失礼なので、メモを取る。
上司が自分に話をするときに、きちんと手を止めて話を聞く。
優先順位
仕事には優先順位があり、依頼された順番ではなく、その時々で緊急度が変わる。
その優先順位が自分でわからないときは、上司に「優先順位の高いものはどれですか?」と尋ね、判断をゆだねる。
仕事効率の意識・改善提案
ひとつひとつの仕事をどれぐらいの時間がかかるかを意識し、優先順位と時間配分を考えながら、一日の計画通りに仕事を進められるように遂行。
もちろん、早く正確に。が一番だが、早くても間違っていては意味はない。
業務は自分が気が済むまでやるのではなく、予定通りに進まなくても、切り上げて定時で終了すべき。メリハリをつける必要がある。
「過去の人がそうやっていたから」と同じように淡々と続けるのではなく、そのことが本当に必要な作業なのかを意識し、もっと効率の良い方法がないのかを常に模索する。
判断力→ホウレンソウ
複数の仕事の依頼や問題が起こった時も含め、どれを先に処理するか、自分ひとりの裁量で解決できることなのかを判断する力。
ここで、いかに周りの上司や同僚にホウレンソウをし、クレームが起こったときの対処などを、チームのみんなで協力して共有し、今後に生かすのです。
問題が起きたから、他の人に迷惑をかけまいと、自分だけで動くのではなく、いかに早く状況を報告をし、チームみんなで最善の策を練ることの方が大切です。
残念ながら、知らないという真実を知るのが遅すぎた。
上記の事項と、ホウレンソウは一般的に10年も社会人をやっていれば、わかっていて当然のことです。
しかし、私はその仕事に対するこちらの基本的な必要事項を知らなかったため、毎日毎日注意され続けたのです。
「一生懸命やる」だけでは、解決することはできないことを、私もわからなかったのです。
上司にしてみれば、自分が20年前から知っている「仕事に対する心構え」は、10年も社会人をしていれば「知っていて当然」の意識でした。
まさか私が、これらのことを知らずに10年も社会人をやっていたということは上司も思ってもみなかったはずです。
そして、上司が本当の意味で、私が新入社員と同じレベルだったのだと、理解するのは、私が退社を決意した後でした。
残念ながら時は遅すぎました。
もっと大事なこと。仕事も人間関係も本質を意識しよう
私を注意し続けた前職の上司の本心を理解
前職で、毎日注意され続け、精神的に追い込まれてしまった私は、その職場を退職してしまいます。
その注意され続ける渦にいたときは、相手のことは冷静に見ることはできません。
私は、自分を否定されたと思い込んでいました。
相手を憎いとも感じたこともあります。
しかし、そうではなかった。相手が私に伝えたかったことは「仕事の本質とは何か」だったのです。
先ほど、書いた私に足りなかったことを全て自分で実感できたのは、それこそ退職して、今の職場に入るときでした。
確かにやり方は悪かったかもしれないですが、その熱意は時間をかけて、私に伝わり
あんなにつらかった毎日も、憎しみではなく、
「本当に未熟な私に、あんなに根気よく、大切なことを教えてくれてありがとう」の感謝の気持ちに変えさせてくれたのです。
仕事も目的を意識してみると楽しくなるかも。やっぱり必要なのは自分ではなく利他の心
毎日の仕事。なんでこんなことやらなきゃいけないの?と思うことはだれでもあると思います。
皆さんは、自分のやっているそのひとつひとつの作業が、どのように完成していくのか、完成した後、誰に繋がっていくのか意識しながら、遂行していますか?
自分のやっている仕事が、その会社が存在する目的とどうつながって、世の中の何とつながっているのか?
自分が会社の駒の一部のように感じることは多いかもしれませんが、自分が日々やっていることが「誰かの笑顔になる」が想像できれば、仕事が楽しくなるかもしれません。
単なる「ファイリング」ひとつとっても、めんどくさいと思わず、溜めずにやっていれば、また並べた方を工夫する。
↓
必要な時に見た人が「見やすい」と思ってくれて、その人の迅速な業務遂行に役に立ち、もしかしたら、自分が困っているときに助けてくれるかもしれません。
クレームが起きた時、その場を収めることだけを考えるのではなく、
クレームを言っている人は、いったい何に怒っているのか?
その人のしてほしいことは、いったい何なのか?
を理解することが必要です。
そのお客様のニーズをくみ取って、対応できたとき、あんなに怒っていたお客様が
「最初の人は全然わかってなかった。あんたが最初からそうやって対応してくれれば、俺はこんな怒らなくて良かったのに。ありがとう。また利用するわ」
となることは多いです。
これらに、必要なのはやっぱり「他人を思いやる気持ち」
少し難しい言葉を使うと「利己」の反対語「利他」の心です。
自分が気にしないからいいや。自分はこれだけしたんだから。ではなく
その仕事、その応対で、自分の関わった人が、笑顔になれるかです。
自分の関わった人が笑顔になったら、きっとその人もまた楽しい気持ちになり、誰かのために何かをしたくなる。
みんなが誰か笑顔を想像しながら、仕事ができたら、毎日の仕事も楽しくなり、会社の業績が上がるかもしれません。
仕事が楽しければ、他のプライベートな時間もきっと充実するはずです。
みんなが笑顔になれる仕事。それって天職かも。
一方、仕事内容が好きだったとしても、同僚や上司の人間関係がつらければ、笑顔にはなれないこともあります。
1日の3分の1を過ごす職場で、仕事の内容の好きよりも、その人間関係のつらさが我慢の限界を超えて、日常生活に影響する場合は、転職もありだと思います
たとえ会社に勤めていない主婦だったとしても、主婦も家事という仕事があります。
人間だれしも仕事をせずに生きていくことはできません。
仕事は楽しいことばかりではなく、つらいこともあります。
しかし、つらいことをつらいと思わず、それも含めて楽しいと思えるときって、あなたはきっと笑顔のはずです。
あなたが笑顔だと家族も、友達もきっと笑顔です。
みんながなれる仕事ができたとき、きっとそれを天職っていうんだろうなあと私は思います。