奉子です。利き腕を骨折して退院した直後は、元々の障害である足がもろに影響を受けたため、足が全く動きませんでした。
そのため自力で行動できる範囲は、「自宅↔職場」の範囲限定でした。
退院して1ヶ月、その封印を解くときがついにやってきたのでした。そんなお話です。
解禁に向けて日々練習。私の小さな挑戦の連続
私には音楽という長い間の心の友がおります。
フルートのレッスンにひとりで行けるようになるためには、ある程度の重さの荷物を持った状態でひとりで歩けるようになる必要がありました。
そこで私は、足が安定し始めた頃からこんなことを始めました。
退院直後は本当に最小限にしていた通勤時の荷物を退院前と同じ重さに鳴らすために、1アイテムずつ増やしていったのです。
「弁当と財布」のみ→「弁当、水筒、財布」→「弁当、水筒、財布、化粧ポーチ」という感じで、1週間ごとに重くしていったのです。
私は手に荷物を持つと、バランスが取れず歩きにくいので、何でもかんでもリュックサックに詰め込みます。
そのため、フルートのレッスンがないときでも、買い物や通院時にそれぐらいの重さの荷物を持ち運ぶことが多いのです。
重い荷物が持って歩けないことは、私の行動における致命傷でした。
そのため、小さいチャレンジを積み重ねたのです。
ビックチャレンジウィーク到来。さあ無事全てミッションクリアなるか?
骨折前から私の生活には通院が必ずセットでした。
月に一度のリハビリ通院。2ヶ月に一度の眼科通院。(こちらは京都)
月に一度の漢方内科通院(梅田)2ヶ月に一度の歯科通院(天満橋)月に2度の鍼灸院(本町)
前回記事でご紹介したように、歯科は無事にバスに乗り行けるほど回復していたので普通にクリア。
鍼灸院も駅が会社の隣の駅なので、退院直後からなんとか行けました。
ただ、京都と梅田は決して簡単ではなかったのです・・・
京都に行くには京阪電車、京都地下鉄、バス、全てひとりで乗り降りが必要でした。
京都にはもう12月の段階では行ける時間もないのがわかっていたため、京都のリハビリの先生と相談して「目標1月末」に設定し、予約をしました。
梅田・・・大阪で最も殺気立っている地区です。しかも仕事の帰りです。怖い怖い御堂筋線です。
たとえ、電車が降りられたとしても、漢方の病院まで周りの大量の人をかき分けて行ける足の状態が必要でした。
しかし、梅田の漢方に関しては、漢方の煎じ薬を飲んでおり、入院前にケガでキャンセルしてから行けていなかったので、12月中に受診し薬をもらいに行く必要がありました。
そこで、12月は夫の休みの日と漢方予約が重なったので、頼んで梅田まで一緒について行ってもらったのです。
12月といえば、自宅の最寄りの地下鉄路線である「長堀鶴見緑地線」以外は、ひとりで乗ることが不可能でした。
しかし、あれから1ヶ月。
右手で階段の上り下りができるようになったということは、電車乗り降りも右手でできるということになります。
多少のステップがある京阪電車、バスももう可能でしょう。
足も硬直が減り、動けるようになってきたので、杖さえ持っていれば梅田も注意すれば行けるはず。
というわけで私のミッション記録は
こちらはちょっと好きな電車から始まったため、テンション上がってしまったアホな鉄子さん記録
そして
到着した京都はめっちゃ寒く・・・雪が降りそうなお天気
こちらにありますように、朝から、右手のリハビリ→眼科受診(京都市伏見区)→足のリハビリ(北野白梅町)と病院3つハシゴして無事に帰宅しました。
3ヶ月ぶりに行ったリハビリ病院での会話
まずリハビリ前の受付にて
受付の看護師さん 「あれ?なんか久しぶりだけど・・・?」
私 「実は、11月22日に転んで右腕骨折して、やっと動けるようになったんです。」
受付の看護師さん 「え?マジで?先生(担当医師)は知ってんの?フルートは吹けたん?」
私 「知らないです。。。伝えたかったけど、先生の診察日と私の予定が合わなくて・・楽器は吹けることがわかりました。」
受付の看護師さん 「明日来はるし、会うし言うといてあげるわ。もっと詳しく聞かせて」
さらにリハビリ室に行っても、担当の先生は
不自由な左手より曲がらない右手、大きな傷の右手にびっくり。
ただ、足の状態が決して悪くないことにびっくりされました。
これはジムのトレーナーのおかげだと思われます。
先生が興味津々だったので、術後すぐのレントゲン写真も見せたのですが、
私 「先生、これボルトもプレートも打ち過ぎだと思うんですけど、これ要ります?」と聞いたところ
先生 「ああここが折れてるんだ。でもこの場所だったらこれぐらいは要るんだよね。いやーそれにしてもすごいわ。傷だらけの女やん。」
私 「傷はもうどうでもいいです。ここまでのケガしても普通に動けてフルート吹けるならそれで十分です」
さすがに2歳から40年以上通っている病院なので、ここの病院での私は職員より歴が長い場合があります。
未だに私のことを「ああ、ともちゃん元気にしてんの?」と普通に声かけてくれるのはこの病院ならではかと(笑)
ついに梅田にもひとりで行けました。そして初めての業務もこなせました。
この週の最後に漢方内科の予約があり、怖い怖い御堂筋線に仕事帰りに行きました。
いつも御堂筋線で通勤している方に確認し、いつも乗らない「女性専用車両」狙いで電車に乗りました。
ここの車両が一番空いているという話だったのです。
こちらにありますように、無事に梅田にも行けました。
帰りはさすがに御堂筋線もJR環状線も乗りたくなかったため、ひとりで乗れるようになったバスで帰宅しました。
実はこの週、本業の仕事も、全く経験したことのない仕事を上司にミッションとして指示され、泣きそうになりながらきちんと期日までに終えることができました。
つまり、病院にも全て予定通りに行け、仕事も期日通りに終わることができました。
これは身体が元気でなければできなかったことです。
1ヶ月前、1時間で息切れして職場で休憩していた私が、この1ヶ月で本当に骨折前とほぼ同じぐらいの動きができるようになったというのは、私も想像以上でした。
本当に本当に、あきらめずにリハビリ頑張って良かったです。
身体が思うとおりに動くって本当に幸せですね。