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日々の日常 障害と私

障害当事者が「障害なんてない方がよい」と主張。友人が出版した本から私が学んだこと。

奉子です。私の友人がこの度、自費出版で本を出版しました。

私も「友達だ」という理由だけで「読んでみてください」というオススメBlogは書けません。

実際に本を読んでみて私なりの感想、考えも含めお伝えしようと思います。

友人の本のタイトル「クセのあるオトコ」はどんな内容

執筆

私が15,6年前に出会った友人がこの度、自費出版で本を出版しました。

タイトル「クセのあるオトコ」~姪っ子たちの花嫁姿を見るまでは~ 風詠社 から出ています。

こちらです。

 

こちらですが、ざっくりいうと、出生時のトラブルで「先天性脳性小児麻痺」という障害をおって生きることになった著者「大東要介」さんの自叙伝です。

全部で4章まであり、1章~3章までは自叙伝なのですが、今回、彼が大金はたいても、自費出版してまでも伝えたかったのがキモである第4章。

障害当事者が語る「障害なんてない方がよい」ココなのです。

 

健常者が「障害なんてない方がよい」と言えば、「障害者差別」に聞こえます。

しかし、彼が言いたい「障害なんてない方がよい」は、 若いときはできていた「障害があったからこその出会いや経験、上手くつきあいながら自分のやりたいことをする」が、

「40代前後に障害当事者の多くが感じる二次障害の大きな苦痛」でやりたいことが出来なくなる。大きく言えば死の危険まで感じる

こんな想いをできれば他の方にさせたくない。

 

医療が進んだ現代は出生前診断ができるようになった。「命の選別」は反対だけれども、もし、今後医療が進んで、障害が予防できたり軽減できたりする世の中が来るのは賛成。

 

彼が言っているのは、「障害者否定」ではなく「障害」そのものだということをご承知おきください。

人と障害は別の話です。

 

内容を読むと、彼は昨年、「このままほっておくと命がなくなるかも」の大きな二次障害が襲い、「生きる」ことを選択し、首の大手術を行ったことが記載されています。

彼自身、決して軽度な障害の方ではありません。

もし、障害がない方がよい=障害者否定ならば、彼自身が自分の存在を否定していることになります。

 

今回の出版は、死ぬかもしれない危機から、生きることを選んだ彼が、敢えて世間に残る書籍という形で、世に問いたい大きな主張。

彼が自分の生きた証を残したかったのです。

 

私がこれを読んで笑ったこと。この友人「キモちっちゃ(笑)」

パニック

ここからは、友人としての私がこの本を読んでの単純な感想です。

著者「大東要介」さんは2014年にも自費出版で、彼が代表を務める障害者当事者が運営する作業所「ピュア」のサイトで紹介していたものを本にした「ピュアものがたり」というものも出版しています。

私はそれを読んだときに、「大東さんの人間性とか想いとかがもう少しわかればいいのにな」と思ったのです。

 

しかし、今回の「クセのあるオトコ」はその大東さんの人間性とかがガッツリわかって、とても面白いです。

本人がいうには

僕の内面は人に言えないほど「悪い」。健常者だったらきっと「親不孝」を繰り返し、「塀の中」に入っていたような気がする。

僕は神様から障害という「ブレーキ」をかけられ、生かされてきたのかもしれない。

「クセのあるオトコ」より~

と言っています。

さらに本の中で昨年急逝してしまった私の大学時代の友人の話が出てくるのですが、彼はその私の友人が嫌いだったらしいのです。

「あまり気が合わない」とは聞いていたのですが、本を読んで「そこまで嫌いだったんだ!」とびっくり。

実は、私自身も彼が障害者でなく出会ったとしたら、きっと「苦手なタイプ」で友達にはなっていないかもしれないなって思います(ごめんね)

 

あと、命の危険を感じ、生きることを選んだ彼は、首の手術を受け、4ヶ月の入院生活に入るのですが、彼の自叙伝を読んでいても「キモちっちゃ」って思うことがかなり多かったです(笑)

手術が怖いと40男が泣くんですから。

 

ただ、彼の入院生活と私が昨年たった2週間ちょいの入院。

比べものにならないぐらい、制限が多い。

私は翌日から普通食で自分で、トイレで用を足すことが出来た。

 

しかし彼は、思ったよりも経過が悪く、嚥下の障害が強く出て、予定外の2週間完全絶飲食。

3週間、トイレはバルーンを繋がれたまま。取れても用の足し方がわからない。出せない苦しさ。

 

それを考えると私は、すごく経過も良くて、4ヶ月経った今は、もう骨折したことを忘れるぐらい影響がない。

障害の程度は違えども、私はこれぐらいで「ブーブー入院飽きた。早く出たい」って言ってたと思うとそこは反省です。

 

私が彼の本から学んだこと。私は自分の障害に寄り添えてないな

私

この本で、私が一番に思ったこと。

自分の障害に寄り添えてない私自身です。

彼が本の中で「障害は乗り越える」ではなく「寄り添う」だと思うと言っているのですが、私はそれが出来てないなと感じました。

 

私自身障害者を43年やっていますが、この1,2年の急激な身体の動きにくさには参っています。

外出するともうある瞬間に「『道のうねりや段差が怖い』スイッチ」が入ってしまいます。

杖なしで歩いていても、あるときから1歩が出なくなって動けなくなるので、仕方なく外出時は杖を持って出かけます。

 

雨の日は杖と傘を両方持つのは最悪に歩きにくいのですが、今転んで再び骨折する方がもっと嫌なので、できるだけ折りたたみ傘で済むように動いています。

屋内は杖が要らないので、はっきり言って、めんどくさいです。

 

私は彼と同じように「障害なんてない方がよい」と思います。

生きづらいです。特にこの二次障害。

5年ぐらい前と同じ状態でキープできるなら「障害があっても別になんでも自分で出来るし関係ないし」と言えました。

 

でも、今現在、「フルタイムの仕事」「家事」「自分のやりたいこと」を全部自分のは自分でやっています

なんてこととってもじゃないけど、いえません。

家事に関しては元々苦手なのに、最近身体がしんどすぎて、さらに夫に全て任せています。

夫もフルタイムで働いています。妻としては最悪です。弁当まで夫が作っています。

 

私は常にどこかで「障害がなかったら」って思っています。

寄り添えていません。

こんな私が、こんなブログ書いて、「あきらめない障害者の作り方。やりたいことやってます」なんて言ってます。

はい。私も弱い人間です。

 

それでも、今別で進行中の「ライブオーナー企画」は成功させたい。

こんな妻として最悪なカッコの悪い私が、ひとりでは何も出来ない気の利かない私が

ライブオーナー企画での中で、みんなの前でフルート吹いて「カッコ悪い自分」も含めてみんなに私を見てほしい。

 

こんな私をどうか皆さん応援してください。

よろしくお願いいたします。

 

最後に友人の本。もう一度リンク貼っておきます。

よろしければ読んでみてください。

 

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