奉子です。私の骨折奮闘日記23回目は、待ちに待った週末外泊の許可および、ついに退院のときがやってきたお話です。
先生、可能なら抜糸した日に退院したいです
ときどき病棟に様子を見に来られる主治医の先生。
手術をして12日目に主治医の先生が病棟に来られた際に、自分から聞いてみました。
足のリハビリであるPTの先生に「動作訓練のために週末自宅に帰ったら?」の提案を受けたこと。
抜糸の予定日および退院日の予定。そして希望は言えるのか?
主治医の先生
「PTの先生、ええこというやん!抜糸は手術したのが月曜日だからちょうど2週間後の月曜日。
退院は、抜糸した月でも火でもどっちでも良いですよ。お迎えの都合とかはどうですか?」
私「それならば、1日でも早い方が良いので、月曜日に退院したいです。迎えは月・火なら夫がたまたま休みなのでその方が都合が良いです」
という会話であっさり、退院日が決まったわけです。
ちなみに私の母はこの「月曜日退院」の事実にかなりご不満でした。
母「あんた、家に帰ってもどうせ何にもできないんだから、旦那さんが大変なだけだし、入院しときなさい」
私「お母さん、そんなんいうても1日2日変わるだけのことやん。ここの病院は急性期の病院だからどっちにしても2週間程度で担任しないといけないんだから」
こんな会話をしていました。
その日のInstagramがこちら
週末の一時外泊。しかし病院は大規模避難訓練で夫困惑。
一時外泊が決まった週末の土曜日は、たまたま入院した病院を中心に、近所の病院も巻き込んだ大規模な避難訓練がありました。
そのことを私も前日の就寝前に聞かされ、「職員のための訓練で患者さんは特にすることはない。ただかなり病棟がバタバタします」ときいていたぐらいなので、私も夫には特にそれをメール等して伝えなかったのです。
しかし、その事を聞かされていたなかったために、外泊のために私を迎えに来た夫が病院の入口で大困惑。
実はこの訓練、私の入院していた病院に大量の患者さんを運ぶ想定の訓練で、病院前には消防車、救急車、入口にはストレッチャー、トリアージのためのホワイトボード等も置かれ、本番さながら。
しかも、今回の出火場所が私の入院していた病室の目の前のシャワー室という素晴らしい想定。
病棟の職員さんは私が外泊と知っているので、夫が1Fで面会許可証を書かなくて上がってきても大丈夫だったのですが、夫にしてみれば見たことのないすごい光景が広がっていて、「俺は本当にここに入っても良いんだろうか?」とかなり困惑したようです。
私も、入院もしたこともなければ、病院の避難訓練がこんなに本格的なものと知らないので、言わなくてもいいやと思ったのが間違いでした・・(>_<)
2週間ぶりの我が家。荷物は9割以上持って帰ってきました
本格的な避難訓練を目の当たりにしてびっくりした私たちは、病院の前からタクシーに乗り無事に帰宅。
外泊と言っても病院に戻った翌日の月曜日が正式退院のため、この土日に戻るときに荷物は9割以上持ち帰り、家にいる間に動作訓練も兼ねてゆっくり荷物を片付けることにしました。
病院で練習した動作練習も、布団のある寝室で試してみましたが、なんとか時間はかかるけどできそうです。
入院前よりかは、確実に動けるようにはなっていました。
入院前は靴も靴下も自分で履くのが困難だった私が、今は椅子に座れば時間かかかるけど、なんとか自分でできる。
食事も入院前は考えられなかった左手を使ってスプーンとフォーク。
一時退院した土曜日は、夫は夜勤で留守。夜はひとりで眠ります。
夫は私を風呂に入れ、食事を作り、仕事に行きました。
ひとりだけど、幸せを感じたInstagramがこちら
本当に病院のご飯ではない、普通にご飯がとっても美味しくて幸せでした。
入院する前は食事をすることも身体が痛くて苦痛でしたが、やっと「ああご飯が美味しいなあ」って思えました。
え?ジムに行けてしまうの?
昼食を済ませ、落ち着いていた頃にいきなり家の電話が鳴ります。
出てみるとなんと相手は「ジムのトレーナー」さんでした。
「入院するって聞いてて、だいたい2週間だろうと思って、様子伺いに試しに電話したんです」
私自身もジムのトレーナーさんには、この入院で力が落ちてしまった足を少しでも早く戻してほしくて、一時退院したこの週末の病院に帰るまでの時間に、パーソナルトレーニングが可能かどうか電話をしようと本当に思っていたところでした。
こんな偶然にタイミング良くってあるのか?というタイミングで電話がかかってきたため、正式退院日が月曜日だけどこの土日は家にいることを伝えられました。
そして、病院に帰る直前に30分だけ足のストレッチを受けられることになったのでした。
といってもジムまで私を引っ張って連れて行ってくれたのはもちろん私の夫。
私を最後病院に送り届けたのももちろん夫です。
そう、気持ちは元気だけど、身体は夫がいないと動くのがまだまだしんどい状態で退院の日が翌日にやってくるのでした。