全ての人々に伝えたい。
障害も鬱も「自分というパズルのピース」を知るための天からのギフト
私は全ての人々が充実した人生を送るためのガイド役として
みんなの太陽として、行動し続けます
>> 詳しくはこちら

日々の日常 障害と私

骨折からの仕事復帰・・傍にある危険

奉子です。今回は私が退院した翌日、仕事復帰をした頃のお話です。本当に今思い出してもキツかったです。

私がいないと給与が締められない。頼られることは嬉しかった

お金

先日の退院日のブログに記載しましたが、私が退院した時期は私たち人事にとって給与支払いのための追い込み時期。

大きな給与の仕事は私の上長が行っていますが、給与を支払うための交通費や新規アルバイトの登録等は私の仕事です。

入院に伴い、仕事のやり方は同僚にザッと説明したものの、確認作業ではない実務をやるのが初めてでした。

たとえ私が、全く手が動かせなかったとしても、「横でやり方の指示や確認をするために、来てほしい」と懇願されたのでした。

 

しかし、前日に抜糸をし、退院したばかりの私は、まだ抜糸の直後だからこその多少の腕の痛み。

さらにまだ全身硬直で、足はほとんど上がらず、歩くには誰かの手がほしいような、フラフラした状態でした。

曲がる角度や痛みもあったため、右手で杖を持つこともまだ不可能でした。

 

ただ、最もよかったことが、手首から先の痛みは、しびれも含め、全くなかったこと。

私と同じケガや手術をして、しびれが残る方がある一定の数いるという中で、私はそれが幸運にもありませんでした。

そのため、歩くのが困難でも、椅子に座ってしまえば、多少ゆっくりながらもPC作業や、書類に字を書いたりすることはできました。

 

当日は、夫に会社まで送ってもらい、午後から出社したのですが、結局座っていただければなく、普通に給与に必要な私の仕事を腕の痛みを気にしながらこなしていました。

おかげで、給与は無事に締まり、翌日の給与明細発送に間に合わすことができました。

自分でも「やっぱり会社に行ったらできてしまう」ことに驚きを隠せませんでしたが、やはり嬉しかったです。

通院でのリハビリ開始。え?毎日通うの・・めんどくさ。しかし事件が

リハビリイメージ

退院したといえども、右手は自力では90度も曲がらない状態でした。

入院していた病院から紹介を受け、自宅最寄り駅の駅前で夜7:30まで診療している整形外科にリハビリに通うことになりました。

病院から資料だけもらっていたときはどこだろうと思っていたのですが、実際行ってみると、自分が何回も目の前を通っている1年以内にできた新しい病院でした。

自宅からも徒歩10分以内に行ける距離です。

 

病院で説明を受けると、来られるなら毎日来てほしいとのこと。

正直、医療費もかかるし、「え?毎日・・」とは思いましたが、まあできる範囲で頑張ろうぐらいな気持ちでした。

会社復帰3日目。会社で大事件

転倒

会社復帰3日目、会社についてすぐの出来事でした。

社内飲料を購入し、右手に水のペットボトル、左手にお金を入れる箱を持って自席に向かって歩いていました。

まだ全身硬直状態だったのに、室内だからと思って私も甘く見ていたのでしょう。

 

片足が上がらず床に擦れてつんのめって、次の瞬間

 

ガシャーン!!

 

お金を入れる箱とペットボトルの水が前に飛び、私も転倒。

 

その転んだときの腕に走った激痛は今でも忘れません。

そう、その痛みは、私が骨折したときに感じた激痛と同じ。

 

まだ私は、転んで自分で起き上がることができません。

さらに右腕は、激痛でしびれてます。

 

転んだ場所は社内。

周りは私の骨折の事を知っています。

「自力で起き上がれないから起こして、私を椅子に座らせてください」

そう、伝えたものの、男性陣は、私のどこを持てば良いのかから困っていたようです。

 

椅子に座らせてもらったものの、その後転倒のショックと痛みから、貧血が起こり、結局午前中は、ほぼ仕事になりませんでした。

この転倒で、私自身も「あ、私骨折、全然治ってないんだな。無理しちゃいけないんだ」を実感することになります。

 

ある意味、この出来事が社内でよかったと思っています。

もし外出先だと骨折していることも周りがわからないため、もっと大変ダッダと自分では思います。

 

そして、リハビリも適当にではなく、「真面目に毎日行かないと治りがどんどん遅くなるかも」というのも感じ始めました。

そして1日でも早く、元通りになるために、たとえ終業時間が短くなっても、リハビリ第一優先の生活を始まることになるのです。

-日々の日常, 障害と私

© 2024 Vielife