奉子です。私の骨折奮闘日記19回目。前回はPT(理学療法)の足のリハビリのお話でしたが、今回はOT(作業療法)の手のリハビリのお話をしたいと思います。
右手動かせないならやるしかない、左手のリハビリ
手術翌日から右手のリハビリも始まりましたが、実際は固定され動かせるのは、ほんの少しの指先のみ。
といっても腕は重すぎて、ベッドサイドに座った状態で、膝の腕に置くのがやっとで、指全体が痺れて感覚もおかしい。
手術前は右手で頑張れば持つことができたスプーンやフォークも、今は不可能。
しかし、3食食事はやってきて、トイレも着替えも、自分でできるところまではやる必要がありました。
左手のリハビリ・・・頑張るしかないよね・・
手のリハビリ(OT)作業療法も術後2日目からリハビリ室まで行って行っていましたが、術後最初の1週間は右手は本当に手首から先を動かす練習しかしてはいけませんでした。
私の骨折した箇所は尺骨神経という薬指と小指の間を通る神経の近くでした。
術日、2日目、3日目(親指以外の指全ての痺れを感じる。しかし3日目ぐらいは最初の半分ぐらいに軽減)
4日目(多少の痺れを感じるのが薬指と小指付近だけに)
5日目(ほぼ痺れはなくなり、手首から先は痛みなく動かせるように)
土日(リハビリはお休みで実施なし)
1週目のリハビリはメインは左手
今回、私が希望して先生にお願いした私の左手のリハビリですが、実は私は42年間、元々の障害のリハビリ(足)はずっと受けてきましたが、手のリハビリは一度も受けたことがありませんでした。
理由は簡単です。
右手だけで日常生活に関わることは全てできたからです。
左手が少々使いづらくても、右手がそれ以上にカバーしていたため、リハビリの必要性も感じていませんでした。
はっきりといいます。私は楽器を弾くこと(ピアノ)吹くこと(フルート)以外で正直、左手の必要性を感じていなかったかもしれません。
過去に骨折は何度もしましたが、全部元々の障害が強い方の左手小指付近ばかり。
困ったことは入浴と楽器。そして移動の身体のしんどさぐらいで、日常生活が送れなくなるほどのことはありませんでした。
しかし今回、右手の肘付近を骨折。
本当に日常生活が送れなくなりました。
出かけるどころか、着替えも食事も思いっきり影響が出てしまいました。
本当に、今やるしかないのです。左手使わないと何にもできないのです。
右手のリハビリがゆっくりの中、左手は痛みもないため、いろんな作業を先生が指示します。
指先を使う粘土を左手だけで丸める作業や、おはじきやビー玉などの作業を懸命にやりました。
今まで使っていなかった筋肉を頑張って動かす。
これだけのことでした。
今回の私の骨折のテーマはこれだったのかもしれない
人間、良いことも悪いことも、その人に必要なことしか起こらなくて、全てに意味がある。
私はそう思って生きてきました。
真面目に生きてきても、絶対に「なんで私が?!」と思うことは必ず起こります。
今回の右腕骨折は本当に私の人生の中で過去最大の試練でした。
なんで、仕事どころか日常生活も送れないほどの入院や手術が必要な大きなケガなの?
なんで、私の虎の子の右手でこんなケガするの?右手取られたら動かれへんやん。歩けへんやん。
なんで左手やったらアカンのん?
なんで、この12月の人事の仕事が年末の一番忙しいときに骨折するの?何で今なの?
同じ起こるなら、仕事が落ち着いている時期に起きたらいいやん。
仕事、細かい実務がわかっている人、私しかいないのに、どうせいっていうねん!
私の心の声はこんな感じでした。
どうしようもなくなり入院と手術をし、ここからは上がるしかないんだなと思いながら、リハビリを続けていく中で気が付いたことが↑にもUPしたInstagramの内容。
左手使いづらいし、右手があれば何でもできるからこんなポンコツ左手まあいいや と左手を卑下していた自分。
過去に両親に「左手も使いなさい」と言われても「いいのいいの。右手でやるし」と答えてた自分。
右手がケガして使えなくなるなんて、想像もしなかった自分。
右手が一切使えなくなって、初めて、いかに自分が右手だけで生活していたか、右手を酷使していたかを実感しました。
そして、「この左手がもう少し頑張って使えるようになれば、生活が楽になるかもしれない」と初めて感じました。
左手はポンコツで要らないものではない。
「自分が要らないと思い込んで使わなかったから、神様は私にそれをわからせようとここまでの大きいケガを試練として与えたんだ」ということを実感したのです。
そして、どうして今の時期だったのかと考えると。。
正社員2名が抜けた昨年春以降は、私の仕事の荷重が大きく、家に帰っても家事もまともにできないほど疲労していました。
それでも私はこの仕事の多さをなんとか自分で処理しようと必死で、多少時間が出ることはあってもどんどん処理も早くなり、なんとか収めてしまっていました。
つまり、上司から見れば、なんとかなっているように見えていたのです。
しかし、冬で筋肉が固まている時期にもう疲労はピークに達していたのでしょう。
入院するほどのケガということは、私へのメッセージはたぶん「休め」以外の何ものでもない気がします。
12月、人事は年末調整の業務があり、さすがに人が足りないと年末調整の業務のためだけのために派遣の方が来てくださっていました。
私が元気ならば、それでなんとかなっていました。
しかし今回この時期に私が抜けたことで、残った3名(上司、派遣2名)に負担がかかったのは事実です。
今回の私のケガは、私の上司にとっても「人を育ててなんとかしないと、これじゃみんな倒れますよ」のメッセージだったのかなと思います。
やはり人生に無駄はありません。
地震などの大きな災害が何百人単位にのしかかるようなときは話は別ですが、自分自身に降りかかることには絶対何かのメッセージが隠されているなと実感する今日この頃です。