奉子です。こちらの記事にもありますように、私は彼とつきあい始めて親に認めてもらうまで、4年近くの月日を費やしております。
4年もあれば、結婚している人もたくさんいます。
私がここから結婚するまで、さらに3年の月日を費やしました。
私や彼が両親を説得し、本当にみんなから祝福される結婚に至るまでの、問題と解決方法。
その他結婚した障害者の友人の話も含め、障害者の結婚について話したいと思います。
彼の家への訪問。母の大反対
父に認められ、気軽に夕食を食べられるようになってしばらくして、彼から私に、提案がありました。
「GWに長野に帰るときに、君を連れて行って、僕の家族に君を会わせたい」
彼の実家は長野です。しかも、南ではなく北信です。
決して、日帰りで帰れるような距離ではありませんでした。
私はそれを受け、母に伝えます。
「Tくんから私を長野に連れて行きたいと提案があったので、GWに長野に行こうと思います。」
母「そんなん、絶対アカン!」
理由を聞いても「アカンもんはアカン」といって聞く耳を持ちません。
私もアカンといわれたまま、強引に行くこともできないため、説得にかかろうと試みますが、全く取り合ってもらえませんでした。
そこで、父に相談します。父もびっくりしましたが、
父「向こうの家族はお前の障害のこと知っているの?」
「お前が行ったら逆に迷惑がかかるから、お母さんは反対しているんだと思う」
私「最初につきあう段階で、私の障害のことは彼の家族に話していて、彼のお父さんとはすでにメル友で、色々話をしている」
父「彼の家族が迷惑でないのなら、俺は行っても良いと思うけど、お母さんには自分でなんとかしろ」
えー!お父さん、助けてくれないんだー(泣)
それからも母がひとりのときを狙って、話をするもとりあってもらえず、最後は母をよく知る鍼の先生にも相談し、対策を考えました。
そこで母に
「二人とも軽い気持ちで、遊びに行くではないこと」
「彼の家族も私の障害を含めて了承済みであること」
「この先の将来も含めて、彼も私も真剣につきあっており、どうしても行きたいこと」
「日帰りで行ける距離ならそうしているが、どんなに頑張っても無理なので仕方なく泊まりになること」
「彼のお父さんとはすでにメル友で、コミュニケーションをとっていること」
を本当に、2週間ぐらいかけて「毎日しつこく」話をしました。
私と話をしたくない空気の母に、強引に話しかけ、言い続けるのです。
母の長野行きの一番のネックは
「彼の家族は男性しかいないこと」でした。
彼のお母さんやお祖母さんが、その数年前から相次いで亡くなっておりました。
帰省するお祖父さんの家は、男性しかいなかったため、家事の全くできない私が行っても、迷惑になるだけと考えていたのでした。
最後の最後は、奥の手を使いました。
「お父さんもおっちゃん(鍼の先生)もこの話を知っていて、二人ともお母さんだけが了承していないことも言った」
「お父さんは『行っても良い』」とくれた。それでもダメなの?」
これを言っても最初はダメでした。
「お父さんが行っても良いといってもアカン!」
しかし、これを2週間、母の拒絶の空気に打ち勝ち、毎日続けた結果、最後は母は根負けして、渋々承諾してくれました。
初めての長野。彼の家族と仲良くなれるかなあ
彼と一緒に行った初めての長野。
とても緊張しました。
私に障害があることはもちろん事前に話していたものの、本当に受け入れてもらえるのか心配でした。
しかし結果は
「ともちゃん、よく来たね。待ってたよ。
やっと会えたね。どうぞどうぞゆっくりしていって」
大歓迎でした。
このときの衝撃をうちの夫が今でも言います。
「俺もさ、数年ぶりに親に会って久しぶりだったわけなんだけどさ、あのときのうちの父さんのあんたの歓迎ぶりは半端なかった。
どこかのアイドルみたいな扱いで、その一方で僕は
「あ、Tくんいたの?久しぶりお帰り。」ってあっさり。
「『ガーン( ̄0 ̄)』」 って俺思ったわ」
それからも、私と長野の家族は良好な関係を築き、そこからちょうど1年後のGWです。
彼から再び「今年も一緒に長野に行こうよ」と提案があります。
ここでももちろん母に一度は「え?また行くの」というあまり良くない反応をされます。
しかし、昨年一度行って、先方にそこまで迷惑になっていないという実績があったため、1度目の壁に比べればあっさりクリアでした。
2度目の長野。長野の家族から衝撃発言
2度目の長野です。
昨年に引き続きなのでそこまで、みんなもびっくりすることもなく「あーよく来たね。いらっしゃい!」程度だったのです。
しかし、お祖父さんから衝撃発言が出るのです。
「奉子さんも2回目だしね、おい○○(彼の名前)、お前は奉子さんといつ結婚するんだ?」
そう、彼の中では「そろそろ」とは思っていたものの、具体的にプロポーズをしたわけでもなくのところに、お祖父さんからのある意味「アシスト」があったわけです。
結局、その長野からの帰りの電車の中で、プロポーズの言葉もないまま、彼から「この先結婚してどんな家に一緒に住みたい?」みたいな具体的な話をしました。
そして、「来月、君の両親にきちんと挨拶に行く」という宣言があり、私たちは正式に結婚に向かって動き出したのでした。
お祖父さんのあの言葉がなかったら、またタイミングを逃していたかもなあと、後になっても思います。
正式結婚申し込み挨拶に行くも。また母拒絶
彼が私の家に、結婚申し込みの挨拶にやってきたその日のことです。
彼「奉子さんと結婚したいと思います」
色々細かく話した結果
父の心の中「え?ホンマか?ええんかこんな娘で。Tくんが家族になってくれるなら大歓迎。」
母「無言。拒絶の空気をかもしだしている」
本当に両極端でした。
父も最初は、「とも(私)に障害があるから、この先車椅子になったり、寝たきりになったりする可能性もあり、迷惑になるけど本当に良いのか?」と言っていました。
しかし彼が、「それも含めて考え抜きました。たとえ車椅子や寝たきりになったとしても結婚したい!」と言ってくれたため、父は快諾。
結婚前から気に入っていた彼が、自分の息子になるのです。
そこが、さらに嬉しかった要因です。
しかし、母は何にも言ってくれません。
プロポーズから結婚式まで約1年。
結局、その数ヶ月後、彼の両親も京都の家に正式な挨拶に来てくださり、結婚は正式決定。
実は両義母が挨拶に来るというこのときも、母は難癖をつけてきました。
「釣書書いてきて」
釣書が何かを知らない方もいらっしゃると思います。
釣書(つりがき・つりしょ)とは一般的にお見合い際に、自分の経歴等を書いて相手の家に渡すものです。
こういうものですが、どうぞよろしくということです。
実際私たちは、恋愛結婚ですが、両家挨拶の席に釣書の交換をお互いにしました。
母の頑なさはもう半端ありません!
もちろん父は、そんなことは求めておらず、大歓迎。
母も頭では承諾はしていたと思います。
しかし、実際正式決定した後にでも、式場の場所にしろ何にしろ、自分たちが決めて出した結論を、母が「気に入らない」と難癖を付けてきました。
「私は気に入らない。」
「私はそんな場所には結婚式行かない。」
そのため、プロポーズされてから、実際に結婚するまで、約1年という長い期間を要することになったのです。
母の拒絶反応。きっとこんな理由
私の結婚を頭ではわかっているけど、拒絶反応。
これは私は結婚して家を出る当日も、そして今も、わずかながらどこかで続いている現象です。
これはこんな理由だと思います。
私を育てるのに、母は家でのリハビリや鍼灸院通い。毎日の学校の送り迎え。ピアノレッスンの送り迎え等
「障害のあるわが子を、少しでも一般社会に溶け込めるように育てたい」
どうみても、他の健常の子どもより、私は母と過ごしている時間が長いのです。
結びつきが非常に強いので、どこかで
「この子は私なしでは生きていけない。この子は私の分身。ずっとこの子と一緒。
この子の人生は私の人生。この子の人生は私が決める」
と思っていたのでしょう。
それなので、「結婚」という言葉は全く自分の眼中・頭中になかった。
そのため、受け入れられなかったのだと思います。
自分の心にぽっかり穴が開く感覚の空虚感なんだと思います。
私からすれば、高校の先生の言葉じゃないですが、
「お母さんが死ぬからって、私は一緒に死ねないわ」って思います。
結婚して10年経とうとする今でも、母は私のことを他の人に
「あの子は結婚したのではなくて、勝手に私の元を離れていった」と平気で言っています。
「お母さん、気持ちはわかるけど、いい加減に自分の人生歩んでいって」と思います。
障害者の結婚。私の友達の話色々
ここからは障害を持つ友達で、結婚した子に相手の家族も含めて聞いた反応の色々です。
友達A
女性:(車椅子)男性:健常者で恋愛結婚。
自分の両親には、結婚は許してもらえたが、彼側の親戚はお母さん以外は障害のある自分は許してもらえず、親戚の集まる場所には行けないとのこと。
しかし、彼も「誰にも許してもらえなくてもAちゃんと結婚したい」という強い意志があり、親戚の集まりは一緒に行けないが、二人は幸せに暮らし続行中。
友達B
女性:(車椅子)男性:健常者で恋愛結婚。
このカップルは両方の両親ともに許してもらえず。
しかし、ふたりとも40代過ぎてからの結婚のためか、「両親に許してもらえなくても、私たちで決めた人生を生きる」とふたりは幸せに暮らし継続中
障害者同士で結婚している友人もおり、ここは、最初は「障害者同士で結婚するなんて!」と大反対に遭ったそうですが、一生懸命説得して、今は幸せに暮らし続行中。
障害者の結婚。私が必要思う覚悟4つ
一般的に、障害者同士であっても、「余計に苦労する・大変」という思いから、反対する家庭も多いと思います。
障害者同士、障害者と健常者であっても、結婚となると「自分たちも特殊な人達を親戚にしたくない。関わりたくない。しんどい思いはしたくない」
という思いから、基本的に拒絶する人は多いかと思います。
私のような夫の家族も含め「歓迎してくれる家族」は本当にすごいことだとは思います。
みんながそうであってほしい。本当はそう思います。
しかし現実はそう上手くはいきません。
障害者が結婚するということは、下記の3つが必要と思います。
「親と絶縁する覚悟」
「その相手と一生何があっても添い遂げる覚悟」
「自分が動けなくなったときのことを想定し、対処策を常に考えることができる」
「障害者自身が、世界中の他の誰よりも、相手を精神的にサポートし、二人は誰よりも幸せになるという覚悟」
この4つが持てて、初めて成立するのではないかと思います。
もちろん、一番大事なのは、最後の
「障害者自身が、世界中の他の誰よりも、相手を精神的にサポートし、二人は誰よりも幸せになるという覚悟」
です。
さあ、障害者の皆さんも腹くくって誰よりも幸せになると覚悟を持ち、勇気を持って第一歩を踏み出して見ませんか?
結婚って、山あり、谷ありですが、「人生、生きてる」って感じしますよ!!