奉子です。一般的に障害者として生まれてしまった場合、元々が何において、障害のない人に比べ、やりづらいこと、できないことが存在します。
親としてはそのいわゆる短所をできるようになってほしいと願い、また本人もそう思う。
そのため、小さいときから「頑張ること」を常に求められます。
たとえそれが障害のない人の20倍かかったとしても、結果の「最後までやりきった」という部分で、親もそして自分も感動し、褒められる。そして自信になるのです。
これが障害者神話だということを、今日は私の経験に基づいてお話ししたいと思います。
初めての社会人。「私も立派に健常者と同じように仕事ができるんだ」と思い込んでいた私
私は25歳で初めての社会人として、化粧品メーカーの営業事務からスタートしました。
最初に教えてもらった仕事は、毎日の各化粧品屋さんやドラッグストアに1店1店に納品する「伝票の控えをファイリング」することでした。
京都支社の取引店全店分の「売上伝票控え」が毎日会社に来るのです。
それだけで、何時間もかかる大きな仕事でした。
その次は、会社内で各どこからかの部署から、「毎日発令される文書のファイリング」
当時会社では、一般消費者の会員さんに化粧品の購入金額に応じてシールを配布していたのですが、そのシールの枚数に応じて記念品を差し上げる制度がありました。
そのシールの枚数を数え、記念品の手配をする仕事もしていました。
もちろん、電話応対で注文を聞いたりしていました。
私は言われた仕事はきちんとこなし、定時には必ず上がれました。
慣れてきた頃には、営業さんの「売り上げ入力の仕事」や「受注の入力」もしていました。
退職する前は、「会社全員のPC設定等」も担っていました。
元々の持っていた明るい大きな声の私は、電話応対時の取引先の印象もよく、私が商品等を覚えてきた後は「私をご指名」で電話をかけてこられるお客さんも多かったのです。
私のキャラクターが好かれ、会社の社内報の取材も受けたこともあります。
多少の無理難題も、お客さんのためになるなら、余裕のある私がやれば良いと思っていました。
初めての転職で実感した衝撃の事実。私の仕事は人並みじゃない
結婚を機に、京都から大阪に移り住んだ後も、人当たりの良さから、京都の職場の上司が、大阪の部署で仕事ができるように手配をしてくれました。
しかし、大阪の部署は今までの支社とは違い、統括する部署だったため、ひたすらデータ分析。
人と話すことが好きな私は水が合わず、2年半後に退職します。
その数ヶ月後に、全く別の会社で働き始めるのですが、そこで私は衝撃の事実を知るのです。
1時間の中での仕事の優先順位が変わる??
私は9年間いた会社でも、もちろん締め切りのある順番から、仕事をしていました。
しかし、次に入った会社の仕事内容は庶務。
メールだけでも1日50通ぐらいはザラに来るのです。
先輩に教えてもらった仕事を、とにかく端からやっていました。
そしたら先輩に「さっき言ったことより、こっちの方が先でしょ」と注意を受けます。
?でした。
そう、仕事には優先順位が細かく細かくあることをここで初めて知るのです。
そんなに時間がかるなら、もういいわ!
言われた仕事はどんなに時間がかかっても最後まで責任を持ってやることが良い。
今まで、ずっとそう思って暮らしてきた私に、先輩からきつい一言がありました。
「もう時間だから、帰りなさい。この仕事は残ってまでする仕事じゃない。あなたは時間がかかるから、後は私がやります。」
今まで、時間がかかっても最後までやり抜くことを美徳とされ、そう信じてきたことが崩された瞬間でした。
初めてこれを言われたときは、本当にショックで自分を否定された気になったのは事実です。
しかし、私は知らなかったのです。
これを言われた真意を。仕事というものの本質を・・・
仕事とは何か?失敗を経て気が付いた私が語るこちらの記事も合わせてご覧いただくとよくわかると思います。
障害者枠だけど、一般正社員と同じ給料。障害者という理由は通用しない
一般的に障害者採用を行っている会社は障害者を、嘱託とか時給とかの「正社員以外の雇用形態」で雇っている場合が多いです。
そのため、給料も低く設定され、その代わり通院等の配慮が優遇されていたります。
しかし、私が、初めて転職した会社は、障害者だからといって給料が安いわけではなく、正社員と全く同じでした。
その上フレックス制度を導入していたので通院も普通に行けたのです。
つまり、障害者だからといって特別扱いはしませんでした。
求められる仕事も簡単な仕事ではなく、他の一般社員と全く同じ仕事をこなさなければいけませんでした。
ある意味、本当の平等でした。
この会社で私は、本当に仕事をする社会人として知っていくべき大事なことを、2年半の在職期間中、毎日失敗を繰り返し、嫌と言うほど学びます。
しかし、このことが本当に実感としてわかったのは、この会社を退職した後なのです。
私が前職で「自分は健常者と同じレベルで仕事ができる」と思っていたのは、ただの思い込みだったのです。
私は、みんなに優しくされ、障害者雇用という別枠で守られていただけなのです。
転職した職場で得た「過去の私へのメッセージ」
前職で9年間も、あなたがやってきた仕事は、補助の補助のような仕事の寄せ集めです。
優先順位なんてものを知らなくても、溜めることはせず、端からやれば、よい仕事ばかりでした。
あなたが思う、最後まで自分のペースでやりきっても十分間に合う、少しの量しか与えられていません。
あなたは「会社の盛り上げ役・仕事の本質を知らなくてもできる、みんなの作業員」だったのです。
仕事の目的は時間内にチーム全員の力を合わせて終わらせること。時間かかることが悪いんじゃない
仕事は自分のペースで、最後までやりきることが成功ではありません。
仕事はチームワークです。
障害のあるあなたがその仕事をするのに時間がかかったばっかりに、大切な締め切りに間に合わないことになったら、それは会社の損失です。
でもそれがあなたの障害の特性ならどうしようもありません。
その場合は、時間がかかっても良い仕事をもらうのです。
スピードを求められる仕事が苦手だから、期限がそこまで差し迫っていないゆっくりでもできる仕事をやるだけです。
あなたもチームの一員です。
その仕事はあなたがやらなければ、他の誰かがやるのです。
会社の役には立っています。
お助けマンは常に走れる体制を
私は現在、3社目の会社で働いています。
今でもファイリング等の簡単な仕事は結構請け負っているのですが、上司は1日の中で色々な仕事の依頼をしてくるため、1日の中で優先順位が大きく変わります。
さらに同僚は、私を「かゆいところに手が届くヘルプ要員」と思ってくれているため、1日に何度も「手空いていたら手伝って」と依頼してきます。
つまり、今の私の立ち位置は「自分だけが担当している責任のある優先順位の高い仕事」を常にいち早く終わらせておかないと、
後から後から優先順位の高いヘルプの仕事が追ってくるのです。
仕事はチームワークなので、私はチームの仕事が時間内に終わるように、いつお呼びがかかっても良い体制にしておく必要があるのです。
最後に、障害のあるあなたへ。自分の苦手を把握して、人に伝える努力をしよう
頑張ることが一番だと信じてきたあなた。
しかし仕事は、「最後まで自分一人で頑張ること」は決して会社のためにはならないのです。
人より劣っている部分があるのは、あなたのせいではありません。
その上で、一緒に働く同僚と比べて、あきらかに遅いとわかったらその時点で、みんなに相談するのです。
「私はこの仕事はこの時間にこれだけしかできないですけど、問題ありませんか?」
そこで、スピードアップの練習をするべきではありません。
それは、「あなたが頑張ればできること」であって、普通の時のあなたができることではないのです。
頑張ることが美徳と思っているあなたは、きっとここで頑張ってしまいます。
そうすると、あるとき、あなたは潰れてします。
そんなことになって、会社を辞めることになったら、全く意味がありません。
「自分の苦手を把握して、同僚や上司に伝えることができるようになること。」
障害者が健常者と一緒に働く一般企業において、一番大事なことです。
身体が悲鳴を上げそうになったら、それもきちんと伝えましょう。
それが長く働き続けるコツです。
もし、自分の持っている仕事が、簡単な仕事の寄せ集めで、全く身体に無理がないのならそれはそれで良いです。
それが、その会社におけるあなたの役割です。
ただ、その場合は転職したら苦労するかもしれないので、頭の隅に覚悟だけはしておいてくださいね。
経験者の奉子からのメッセージでした。