奉子です。今日は私の24歳のときの、大きな出来事についてお話します。
私、何の仕事したらいいの?また学校行こう。
音楽療法の学校を卒業後、次の1年は週1のスクールカウンセラーの仕事をやっていましたが、収入は微々たるものでした。
音楽療法の学校が、就職先を斡旋してくれると期待して入学したのに、大学や専門学校ではなく所詮私塾。
全くそれはなく、単に音楽療法が勉強できただけでした。
その後、私は音楽療法を続けるのに役に立つかと、放送大学の単位を取りに行ったりもしましたが、全く仕事に結びつく要素もなく、それこそ、実家でニート状態。
音楽療法の学校に一緒に行っていた仲間は、それこそ自分で施設に売り込み、就職した子もいました。
しかし、当時24歳の私。
音大出身なわけでもなく、楽器の技術もなく、おまけに障害者。
施設に行っても、介護の職員には絶対慣れないどこか足手まとい。
この先どうしよう・・・焦っていました。
そんなとき、私のリハビリの病院の言語聴覚士の先生から、
「今まで認定資格だった言語聴覚士の資格が、1997年に正式に国家資格になったし、大学卒業資格のある人が受けられる学校が奈良にできるんだけど、ともちゃん行ってみたら?」
そんな誘いが来るのです。
おしゃべりの好きな私です。
「これなら、足の障害は関係ないし、きっと私にもできる。しかも国家資格。学校行こう」
受験することを決めるのです。
決めた受験。試験期間までたった3ヶ月。ネット断ち断行
試験科目は英語に小論文。そして一般教養。
大学卒業資格を持った人が受験できる試験です。
難易度が高いに決まっています。
私は、本気で腹をくくって、あることを決めます。
試験が終わるまで、インターネット断ちをしよう
当時の私が、インターネットを断つということは、毎日楽しみにアクセスして書き込む、「FIELD OF VIEWファンサイトに、3ヶ月アクセスしない」ということ。
たくさんのメル友とのメール交換も、一時停止ということです。
それこそ、毎日のように連絡を取っている相手に、「受験勉強するので、ネット断ちします。受かったら帰ってきます」と宣言して、受験勉強に入りました。
過去になく一番真剣に勉強した3ヶ月間
自分でいうのもなんですが、あのときの私は、過去のどんな受験勉強よりも、一番真剣に勉強したと断言できます。
ネットもTVも我慢して、ひたすら勉強。
それこそ、毛布被って受験勉強しました。
絶対受かりたい。その一心でした。
過去になく猛勉強。その結果は
試験のチャンスは2回ありました。
1回目で受かりたいけど、無理なら、対策してもう1回チャンスもあったのです。
しかし、結果は 2回とも不合格だったのです・・・
生まれて初めての挫折。なんで?どうして?
2回試験を受けて、2回とも不合格だったときの私の気持ちの落ち込みは、半端ありませんでした。
自分が勉強不足だったらなら納得いきます。
しかし、今回の私は
大好きなネットを断ち、TVも我慢して、とにかく今までにない集中力を持って、勉強したのです。
できることを全てやったのに、試験に落ちたのです。
今まで、努力は報われると信じていました。
それなのに報われなかったのです。
この時初めて、私は「世の中に神様はいない」と思いました。
このとき私の親友Aに、大泣きして電話したことを、今でも良く覚えています。
実は後日談ですが、親友Aは、かなり紆余曲折の人生を送っていたため、私のことを
「くろちゃんは高校も大学も普通に受かって、友達も多くて、この人はなんでこんなに人生順風満帆なんだ、うらやましい」と思っていたそうで、
いわゆる初めての敗北感に落ち込んでいる私を見て、「やっとくろちゃんも、上手くいかない体験をしたか」と、内心どこかでホッとしていたようです
試験に落ちた。どんな顔をしてネット仲間のところに帰れば・・・(T_T)
「試験に受かったら帰ってきます」
そう宣言して、ネット断ちした3ヶ月前。
それなのに、試験は不合格。
ネット仲間にも、メル友にもなんていえば良いんだろう・・?
気まずい。でも帰りたい。
意を決して、毎日行っていたFIELD OF VIEWファンサイトの掲示板に、3ヶ月ぶりに書き込みます。
「試験には落ちてしまいました。でも帰ってきました。みんなまたよろしくお願いいたします。」
ドキドキして次の日にその掲示板に行ってみるのです。
そこにあった書き込みはなんと
くろちゃん、おかえり!!待っていたよ!試験お疲れ様。
のたくさんの書き込みでした。
よかったー。みんな私のこと、覚えていてくれた。
心からホッとしたのを良く覚えています。
え?この人も帰ってきてたんだ
実は、この3ヶ月ぶりに帰って行ったネットの掲示板に、懐かしい名前がありました。
半年以上、メールを交換していなかったTくん(後の私の夫)です。
実はTくん、私がネット断ちする前から、個人のPCが壊れてしまい、メールを送ることも、もちろん掲示板にアクセスすることもできなくなっていたのです。
私からメールを送ったまま、全く返事が来ず、掲示板にも現れなくなったため、私も仲間が一人減ったなぐらいに思っていました。
それなのに、私がネットに久しぶりに現れるとTくんが、掲示板に普通に書き込みをたくさんしているのです。
そう、私がネット断ちしている間に、TくんはPC環境を整え、再び仲間として復帰していました。
私がネットに復帰して、わりとすぐにTくんから久しぶりにメールが来ました。
そこにはPCが壊れて、アクセスできなかったことが書いてありました。
そして、「試験に落ちたかもしれないけど、気にするな。それより、おかえり!!」と書いてあったのです。
もう忘れられたかと思った相手が、自分のことを覚えてくれて、優しく「おかえり」と言ってくれた。
この一言で、私の心にTくんに対して、今までと違う感情が芽生え始めたのでした。
試験に落ちた私は就職することを決意
春から行くはずだった学校の試験に落ちてしまい、行き場を失った私。
これ以上ニートを続けるわけにもいかず、働くことを決意します。
音楽療法で就職する術を知らない私は、絶対やりたくなかったOLの道に行くことになります。
しゃべることの好きな私は
「人と関わる仕事」をしたかったのです。
しかし当時は、足の悪い子=人前に出る仕事はタブー
だったため、障害者枠での色々な会社の就職試験を受けますが、仕事内容は、全て事務職でした。
嫌とか言っている場合ではありません。
もう就職する以外の道はありませんでした。
そして私は、6月から、化粧品メーカーの営業事務として、初めてのOL生活をスタートさせてることになるのです。
あれは神様からのブレーキサインだったのかも。今思うこと
「あんなに頑張ったのに。」試験に落ちたときは本当に落ち込みました。
しかし、あれから20年近くたって振り返ってみると、あれは「神様からのブレーキサイン」だったのではないかと思います。
人間、生きていて、どんなに頑張っても上手くいかないことが、必ずあるそうです。
特に、今まで上手くいっていた人に、突然起こるこの出来事は、いわゆる「ハザード」
「ここは行ってはいけない道ですよ。というのを、自然と教えてくれている」ということを聞いたことがあります。
OLをやって15年以上。
はっきり言って、このOL生活15年の間の方が、本当に痛い思いをしたことが多いです。
もし、あのときに試験に受かっていたら、会社の組織で働くということを知らずに、本当に自分のペースだけで仕事をしていたかもしれません。
ただですら緩い実家暮らしで「お嬢さんやなあ」と言われ続けた私は、今よりさらに、世間知らずの痛い人間になっている可能性もあります。
今振り返ってみても、最初の25年間はいかに守られ、皆がサポートしてくれて、世間知らずの部分も笑って許してもらえていたか、
ありがたいの一言です。
でも25歳まで、皆に受けた愛情があったからこそ、社会人になってからの厳しさに立ち向かえたのも事実です。
良いことも悪いことも含めて、神様はやっぱり私たちを見ているなと思う今日この頃です。