奉子です。こちら、2012年3月26日の過去記事ですが、この日記を書いた2週間後には、この仕事を、会社を退職することを決めました。
もともと、ネガティブな言葉を吐くことは嫌いで、みんなが読んでるブログで「今がつらい。助けてくれ」とは絶対言いたくなかった私が、
もう、自分では処理しきれず、大好きな音楽に力をもらえて想いを出した時の記事です。
記事自体は少し読んでて痛いですが、今はとても元気な私も、こんなときもあったということをきちんと残しておきたく、過去記事としてUPします。
こんなどうしようもないときもやっぱり音楽がそばにいました。
くろです。いつも基本はポジティブで元気な私ですが、実は最近何ヶ月も平日の仕事の日はうまく行かなさ過ぎて、ネガティブ思考になっております。
「今日もまた怒られる。一生懸命やっているのに結果がでない。どうすればいいのかわからない。」
という感じで、今の日常はやるべきこともできず、ひどい感じです。
ネガティブでいると悪いことをどんどん引き寄せてしまい、余計に空回り。
だから心は前向きにって頭ではわかっているはずなのにそれができない自分がいて、頭のどこかで「これ病気寸前でやばいよなあ」って思ってます。
そんなどうしようもない私に、音楽が喝を入れてくれました。
音楽鑑賞三昧な1日
昼間は、私のフルートの師匠のコンサート。
夜は、浅岡雄也さんのライブに参加してきました。
両方とも私の地元京都であり、師匠のコンサートが終わってから間髪入れず、浅岡さんのライブに行けるという素敵な感じです。
移動距離も非常に楽でした。
まず昼間の師匠のコンサート。
のっけから先生の音色はキラキラ輝いていました。
「そうそうフルートの音色ってこんな感じでキラキラしてる」と思い出しました。
私はここまで上手でなくても、このキラキラした音の楽器を自分が吹けて、発表会や結婚式でみんなに喜んでもらえた。
そして、半年前、どうしてもほしくて高い楽器も買った。
それなのに、ここ2週間ぐらい楽器を触っていない自分がいる。
家で練習している時でさえ、楽器を吹いた後は気持ちがスッキリするのを知っているはずなのに。
落ち込んでいる時ほど吹いたら、楽器が自分を元気にしてくれるのに・・・
何で触らないのさ楽器に。って思いました。
発表会が5月と7月にあり、両方とも出ると宣言。しかも新しい楽器で。
私が音楽しなきゃ、私じゃないのに仕事の重圧に負けて何やってんのさ って思い出させてくれました。
夜は浅岡さんのライブ。セットリストやばすぎる
そして夜の浅岡さんのライブは・・・セットリストがやばかった。
浅岡さんのライブはいつもの車椅子の親友Aと一緒に参加。
前回と同様 最前列近くで見られました。
浅岡さんは昨日は大阪。今日は京都で2日連続のライブ。
ゲストが綿貫正顕さんと徳永暁人さん
このふたりがゲストなので、彼らが関わったFIELD OF VIEWの曲をガンガンやったのですが、それが私の大好きな曲ばかりなのです。
その中でも「Believe myself」「The way of my life」「Still」は
16,7年前の私が今の私に「あんた何やってんのさ」って言ってくれたようでした。
浅岡さんもMCで似たようなことを言っていました。
本当にあの頃の自分は、まっすぐで、素直で、怖いものがなくて、後ろ向きに考えたことなんか一度もなかった。
今の自分は仕事の重圧に押しつぶされ、私このまま壁が乗り越えられないんじゃないかってあきらめかけている。
「負けたって前向きなら怖いものはない♪」と歌詞にもあるのに。
アンコールでやった「when I call your name」「空の果て」もきつかった。
特に「空の果て」は浅岡さんの最新の曲ですが、自分にグサ~と突き刺さりました。
実は私の一緒に行った親友も私と全く似たような状況に陥っておりまして、
帰り道ふたりで「浅岡さん、ひどいよ~こんなにつきささるセットリストにしなくても~。私らのこと見てるのかよ~」といいながら、半泣きで帰りました。
お互い落ちている私達ですが、次に会うときは今日よりはお互い心が元気になっているようにと誓って別れました。
いつも日曜日の夜は最近暗い私ですが、明日は本当に久しぶりに前向きに仕事に行けそうです
このブログも心に喝入れたくて書きました。今週もがんばります。
最後に(2017年3月追記)
過去記事を整理していて気が付いたのですが、私はいかに精神的に弱っているときに、音楽に助けられてきたのかを改めて実感しました。
実はUPするほどではないのですが、2011年7月の発表会当日の帰りにも、タイナカ彩智ちゃんライブにいっておりました。
自分でも、「そういや強行したわ」と思い出します。
このときは、仕事が上手くいかないということにとらわれすぎており、自分の何が悪いのかは全く見えていませんでした。
同年9月末に退職しますが、本当の意味で自分がどうすればよかったのを気づくのはこの後でした。
これはまた新記事としてUPしたいと思います。