奉子です。私の骨折奮闘日記7回目は、ついにやってきた33年ぶりの入院です。
ここからは入院中にInstagramを毎日UPしていたので、その記事も引用しながらやっていきます。
今日は33年ぶりの入院なのに、仕事の電話がかかりまくり
昨晩のうちに自分で準備できそうな着替えや持ち物をまとめ、夜勤明けの夫の帰りを待ちました。
朝から会社に前日の引き継ぎで伝えきれなかったことをなんとかメールをし、夫が帰ってきてからは夫の介助で自宅で入浴し、荷造りをし、とかなりバタバタしていたのです。
が、会社からの「○○の件で聞きたいことがあるから折り返し電話ください」のメールが入る入る。
病院に出発してしまったら、すぐには折り返せないし・・・と思って自宅にいる間に処理することにしたのですが・・・
「まあ自分がいきなり休むのが悪いんだし、しょうがないよね」と思いながら夫と自宅を出発。
事前に連絡は入れたものの、駅前からタクシーで行っても病院には遅刻。
怒られることはなく、普通に入院手続きも進み、病棟へ。
本当に入院なんだなと実感する私。
私のベットは、4人部屋の窓際の位置で、枕元に自分の名前の札がかけられ、腕にはバーコードと名前の入ったリストバンドが付けられ、「ああ入院なんだな」と実感する私。
まず看護師さんがやってきて、血圧と検温をしたかと思えば、しばらくして薬剤師さん、麻酔医さんが次々とやってきて、月曜日の手術の確認をされました。
まあ確かに、入院したのが金曜日で手術が月曜日。
土日は緊急以外の医療行為はないはずなので、そうはなるよなと思う。
それにしても全身麻酔という響きに、結構な手術だなと改めて実感しました。
ちなみに麻酔医さんには「私は麻酔が効きやすい方で、一般の量だと効きすぎてしんどい傾向がある」ことも伝えておきました。
夜勤明けの夫をいつまでも引っ張るわけにもいかず、落ち着いた頃に帰宅してもらい、パジャマへの着替えは看護師さんに手伝っていただきました。
パジャマはシーネ固定で入らないので、本当に前開きのものしか無理でした。
前開きパジャマはとりあえず実家から借りました。
そうやって病室で落ち着いてからも、、仕事の問い合わせメール来まくりで電話するやらメールするやらでちっとも落ち着きませんでした。
私の入院当日の初のInstagramがこんな感じ
まあこの投稿でびっくりした方も多いと思いますが、すみませんでした。
さすがにこの骨折奮闘日記の6回目までを見ていただいてもわかるように、「骨折しましたー。でも大丈夫です」なんて口が裂けても言える状況ではなかったので、ここまで発表しませんでした。
あと、この素晴らしい右手でどうやってメールしたりInstagram投稿していたかと言いますと、写真にもちらっと写っていますキーボード。
こちらです。
ブルートゥース接続でスマホと繋ぐキーボードを使って、左手だけでタイピングしてメールの返事もInstagramもUPしていました。
私の元々麻痺している左手では、スマホのキーボードは小さすぎて無理でも、このキーボードなた打てたのです。
単4の電池式なので、電池が切れると動かなくなります。
もう少し大きい写真を上げますとこちらです。
キーボードだけ見たらMacのキーボードみたいですが、パソコンではありません。
PCもスマホもローマ字で文字入力している私にとっては、右手が完全固定された後ではこれを使って左手で打つのがどうも一番早いと判断。
実はこれ、骨折する1ヶ月くらい前に夫が買ったもので、正直最初「別に、こんなんなくてもええし」ぐらいに思っていました。
しかし
私が勝手に転んで骨折をし、これがなくてはならないものになりました。
退院した今でも、長い返事を入れる時はこのキーボードのスイッチ入れています。
人間本当に何が起こるり、何が役に立つかわかりません(笑)
衝撃の初の病院での食事。ここから私の病院食記録がスタート
病院の食事は朝 7:30 昼12:00 夜18:00でした。
夫もおらず、会社の連絡も終わり、Instagramの投稿も終わった私に初の食事が配膳されました。
それがこちら
もう衝撃過ぎてUPせざるを得なかったのです。
「病院食はまずい」と効いていたけれど、「私は元々薄味で来ているしまあ大丈夫でしょ」と思っていたのです。
しかし
本当に想像以上でした。
食べることが好きな私が、食事でテンションが下がるって、これから2週間強耐えられるのだろうかと思った初日でした。
最後にもう一度キーボードのリンクだけ貼っておきます。
これ病室で使っていたら、先生も看護師さんもみんな「そんなもんあるのか?」ってびっくりされました。