奉子です。今日は私の人生にとって大切な障害者サークル「スクラム」についてお話しします。
もともとは障害を持つ親同士の相談の場「ひまわり会」
私が所属していた障害者サークル「スクラム」はもともと、私の通う北野白梅町の病院であった「障害を持つ親同士が悩み相談をする場『ひまわり会』」でした。
この会が結成されたのは私が小3。ちょうど足の手術で私はこの病院に入院しており、ギプスのまま出席しました。
当時は障害者が、養護学校ではなく普通公立学校に通うのは、まだ一般的ではありませんでした。
「足が悪いだけの我が子」をいかに一般公立学校で学ばせるか、学校生活の悩み等を親同士が打ち明ける、お互いの悩み相談の場でした。
私たち子どもはそこで、遊ばさせられているという感じでした。
ひまわり会では年に1度のキャンプがあり、そこにはボランティアのお兄さんも来ていました。
最年長の私「中学生以上の会を作ろう」
当時、その会では最年長の私。私が中学生になったとき、こんなわがままな発言をします。
「中学生以上の会を作ろうよ」
中学生です。思春期にさしかかり、小1や2年生の子をとても幼く子どもに見えてしまい、そんなわがままなことを言ったのです。
しかし、それが実現してしまうのです。
それが「スクラム」です。
中学生以上の子たちが集まり、親とではなく、ボランティアのお兄さんやお姉さんと一緒にお出かけをする会ができたのです。
親でない人と一緒に出かける。障害者にとってはすごい出来事です
一般的に障害を持つ子の親は、「この子は私が守らなきゃ」傾向が強いため、出かけるときは親が一緒です。
電車でなく、自家用車を使う人も多いです。
そのため、中学生になっても「親なしで出かける。時間を過ごす」という経験をしていない人は多いのです。
スクラムの存在意義は本当に大きいものでした。
もともと、ひまわり会のボランティアをしていたお兄さんが、自分の後輩をどんどん連れてきてくれました。
大学生のお兄さんが「行く場所や遊ぶことを計画し、親なしでみんなで楽しむ」
実際はその計画に対して、親がバックでサポートはしていますが、その行事の時間中は親はいません。
スクラムは、しばらくはそんな会でした。
そんな私が大学生。私がスクラムのリーダー
そして時は流れ、私がついに大学生になります。
ボランティアのお兄さんだった人が、自分と同世代の仲間になります。
私が中学1年だったときに子どもだと思っていた人たちも、みんな中学生以上になります。
その頃にはもともとの親の会「ひまわり会」はもうなくなって、「スクラム」1本になっていました。
え?私の大学の友達がスクラムのボランティアに!
私が大学生になり、スクラムのリーダーになったときです。
ボランティアをもっと増やしたい。
そう思ったときに名乗りを上げてくれたのは、私の大学の社会福祉学部の友人たち。
「めっちゃ楽しそう。行く行く!!」そんな感じでした。
大学内に募集のポスターも貼ろうと、一緒に手伝ってくれました。
車椅子の操作もみんな慣れています。
自分の大切にしている会に、自分の友達が一緒に来る。
こんな楽しいことはないのです。
え?切符の買い方知らない?「障害者にも同世代と当たり前の経験を!」
私は小学生の時からひとりで電車に乗っていました。
しかし、障害者当事者同士で話していても「親の車かタクシーしか乗ったことはない」
「電車の切符は自分で買ったことがない。」
「映画を見に行ったことがない」
そんな声が聞かれました。
私は危機感を感じました。
なんで、同世代の子が当たり前にしている経験を、障害者はしていないのか?
知らなきゃ、世の中についていけるわけないやん。
「私が先頭に立って行動しよう」
そう思ったのです。
毎月のミーティングは自分たちで
スクラムの行事は年3回~4回。
春はお花見。夏はキャンプ。秋はおでかけ。冬はクリスマス会
そのような感じです。
会の幹部3名が集まり、次の行事の計画を練り、予算を決め、行く場所を決め、案内はがきを作り、出欠を集め、必要な場合には事前予約もします。
時々会のみんなやボランティアのお兄さんに行きたい場所などもアンケートをとったりもしました。
企画のリーダー、会計係、実際のスクラム行事内でのリーダー的ば盛り上げ役。
3人はこんな役割でした。
もともと、鉄子さんの私は、交通網にも詳しく、スクラムの企画の立案は私の大得意な分野だったと思います。
逆に数字アレルギーの私は、会計は本当にだめでした。
あるとき会計係の親友が、行事に入院か何かで参加できなかったときに代わりに会計したのです。
思いっきり間違えて、親御さんに平謝りでした。
私はgoing my wayなところがあり、企画の立案や実際の行き先の指示はしました。
しかし、当日みんなの盛り上げ役的な精神的なリーダーは、別の友達になってもらったのです。
初めての親友との大きなすれ違い。忘れられない大きな出来事
「スクラム」幹部のひとり。会計係のAちゃん。
親友の彼女。今でも時々話題に出る、忘れられないたった一度の大きな出来事があります。
私20歳。彼女19歳のときに初めてのすれ違いが起きます。
彼女はそれまで杖2本で歩行をしていました。
しかし、入院がきっかけで車椅子生活になったのです。
あるとき、スクラムの集合場所の件でもめました。
電話をしていたんです。
当時の私はどこか、「私は歩けるんだし」と、車椅子の人たちを卑下している部分があったと思います。
集合場所を決めるのに、明らかに車椅子の人が行きにくい場所を私が指定したか何かでした。
確か私の考えが「これが一番の近道やし、急ぐし歩ける人が先に行って、車椅子の人が後から来れば」的なことを言ったのだと思います。
それまでは歩けていた彼女も車椅子だったので、「車椅子の人たちはどうするねん?」的なことですれ違いが起きたのです。
ついこないだまで、自力で杖歩行していた彼女です。
歩ける人の気持ちもわかるのです。
お互い、気まずいまま電話を切りました。
私も親友を裏切ってしまったような気がして、とても歯がゆかったのを覚えています。
「次、電話するときなんて言おう」そう思いました。
次電話。普通に会話そして和解。今も一番の親友
その気まずい電話の次の時。
お互いに謝らなければ。そう思っていたはずです。
特に「ごめんな」というわけでもなく、
「この間の話だけど、こうすれば良いんじゃない?」
お互いが、時間をおいて、両方が納得する答えを見つけたのです。
特に謝ったわけではありませんでしたが、心が通じた瞬間でした。
それからというもの、私は色々な店や場所に行くたびに「ここは車椅子では来られるだろうか?」という視点を持つようになりました。
「歩くるるぶ」は美味しいだけではなく、バリアフリードも気にするようになったのです。
そんな彼女とは、出会って30年越えました。今も一番の親友です。